北の鉄路(6) 追跡(2015.06.23)
2015.06.23
撮影:
下り北斗星(北舟岡~稀府)
撮影:
上り北斗星(島松~北広島)
札幌・新千歳(CTS) 2100 → 東京・羽田(HND) 2240
スカイマーク730便(SKY 730)
3時前に起床し,未明の国道228号線を西へ走る.この時期の津軽海峡は,4時過ぎには日の出を迎える.ということはそれなりに明るくなってくるはずだから,上りのはまなすの姿を何とか江差線内でとらえられないか,と企んだのである.いやしかし,6年の歳月を経てこの旅を振り返るたびに感じるのだが,よくこんな異常な旅程を組んで淡々と実行していたものだ.今ではおそらく体力がもたない.何だか悲しい話だが,30歳というのはひとつの区切りだったように思える.
ある程度は織り込み済みだったのだが,ED79の橙色のヘッドライトが海面に反映されていささか幻想的である.しかし,国道を並走する車のライトも入ってしまった.これをアクセントととらえるか,障害物と見なすか.難しいところだが,右手に写る漁村のナトリウムランプも含めた統一感を考えると,やはりない方が良かったかもしれない.まあ,並走道路の車の流れなどは雲の流れと同じで,その瞬間を迎えないとどうなるか分からないものだ.それはそうと,著しく高感度になった今どきのデジタル一眼ならば,こういう極めて過酷な露出下でも劇的な写真を生み出せるのだろう.各所で色々な写真を目にするのだが,どれも気味が悪いくらいにザラツキ感が見られない.時代は変わったものだ.
はまなすが通過したのが3時50分,踏切に移動して後を追ってくる7066列車を撮影したのが4時5分(上の写真).それから先の2時間弱は何をしていたのか,とくにメモもないのであまり思い出せない.とにかく暗すぎて貨物列車を積極的に撮影する気にはならず,おそらくは近くの道路脇に停めた車の中で仮眠をとっていたのだと思う.
曇っているのが残念でならない.天気運は本州で使い果たしてしまったらしい.そうはいっても,ひょっこりと現れた小柄なED79は意外と力持ちで,江差線のお世辞にも良いとはいえない線形で幾多ものカーブを通過しながら,ひとりで長大なブルートレインの客車群を牽き回していった.時刻は6時を回ったところだ.乗客たちは,目覚め始めているだろうか.列車は,今しがた青函トンネルを抜けたばかり.どこか荒涼とした北海道の陸地から眺める朝の海峡の姿は,本州を走っていた頃の車窓とはまた一味違うことだろう.さて,すぐに車に戻ってエンジンをかけ,計画どおり大沼へと急ぐ.函館で機関車を交換してから折り返すまでの時間を利用して,先回りをしようというわけだ.慣れないながらも初めての「追っかけ」を行うのである.
有名なストレートの撮影地は結構な人出で,ベストポジションはすでに埋まっていたものと思う.これまた道路脇の狭い草むらに車を停め,何とか合間から列車の姿をとらえた.さて,また移動だ.道央自動車道の大沼公園ICへ急ぐ.何だろう,撮影の余韻に浸る間がない.撮った写真をゆっくり確認する暇すらない.北斗星は特急列車だけあり,なかなかの速度で札幌へと走ってゆく.もちろん主力の気動車特急の速さには及ばないのだが,高速道路を2時間ノンストップで(常識的な範囲で)ひたすら飛ばし,洞爺のあたりでようやく追いついたくらいである.そして伊達紋別を過ぎ,予定していた北舟岡~稀府の撮影地にたどり着く.しかし,まともに準備する間もなく列車が来てしまった.
この撮影地は,果たして正解だったのだろうか.藪が多すぎて,肝心の海がほとんど写っていない.編成の尻にも被っている.もしや立ち位置を間違えたか.到着が直前だったので,とにかく焦っていた.晴れならともかく,天気も相変わらずだ.今回,移動時間の読みはぴったりで,江差線内からの立ち回りはほぼ完璧だったといえるが,北斗星が行ってしまった後,どこからともなく虚無感が海嘯のように押し寄せてきたことはよく覚えている.とにかくたくさんの写真を撮る,という目的は達成できたのかもしれないが,これは自分が求める撮影の理想像ではなかった.土地の空気に触れる,構図を作る,臨場感を楽しむ,余韻に浸る,いずれも欠落していた.かといって,江差線内だけの撮影で満足していたかというとそれも否で,せっかくここまで来たのに撮れるだけ撮らないのはもったいない,という(今から思えば貧乏くさい)心理が強く作用したのも事実である.まあ形はどうあれ,大きな事故なく,北斗星の最後の勇姿を網膜そして撮像素子に焼き付けられたので良しとしよう.
昼はどこで何を食べたのか,全く記憶にない.メモもなければ,写真もない.長い時間をおいてから旅行記を書くことの恐ろしさを,今まさに実感している.肝心な場面は克明に記録され,それゆえ記憶にもある程度刻まれているものだが,何気ない感情の機微とか,ささいな行動,あるいは知覚の産物などは,いともたやすく忘却の彼方へと流されてしまうことが分かった.何だろう,時を経た旅の思い出を綴る作業は,"recall"というより,"reconstruct"に近いものがある.もちろん後から振り返る以上,どれほど記憶が新鮮であっても"reconstruct"の要素は免れない.むしろ両者の絶妙なバランスこそが味わい深い紀行文を生み出す,ということをしばしば経験する.しかしながら,中途半端に時間が経過してしまうと,どうしても事務的な,そして無味乾燥の出で立ちとなるように思う.忠実に行程を記録し,写真を経時的に載せつつ,関連する叙情も時おり織り交ぜていくという愚直な文体を維持する以上は,仕方がないのだろう.逆に(これまでの人生に匹敵するほどの長さでまだ想像もつかないが)20年とか30年という時間が経てば,気楽な散文詩やバラバラの絵日記のように旅の思い出を綴ることも可能なのかもしれない(そういう方法は現在Twitterで実験しているという見方もできる).さて,この日の午後は倶多楽湖の湖畔を訪れたのだった.湖畔に車を停めて仮眠していた.天気は一向に勝れないし,連日の早朝活動で疲労が蓄積し,観光や町歩きを行う気力までは湧かなかったのだろう.
いよいよ雨が降ってきた.夕方の最後の撮影地は千歳線,島松~北広島に決めた.荒涼とした農道を歩いた先に,踏切が待っていた.ただのストレートではなく,上下線の線形の乖離や,勾配が見せる造形がなかなか魅力的な場所である.雨脚が強まって露出が厳しい中,全力疾走の上り北斗星の勇姿を何とかおさめることができた(トップ写真).もう会うことはないかもしれないな,と思っていたら,この日が本当に最後になってしまった.同年の夏にはラストランもあったはずなのだが,都合がつかなかったのか,敢えて行かなかったのか忘れてしまったが,とにかく,涙雨そぼ降る北海道でひと足先にひっそりと見送ったのであった.この列車には本当にたくさんの思い出がある.鉄道,旅行,そして写真への飽くなき欲求は,北斗星から始まったといってよい.いつか,何かしらの形で振り返り,まとめていきたいものだ.新千歳空港でレンタカーを無事に返却した後,スカイマークで東京へ帰り着き,4泊5日におよぶ撮影旅行は幕を下ろした.
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