西日本の秋(4) 山口線 後篇(2015.09.27)

西日本の秋(篠目)

2015.09.27

津和野0818→仁保0917
山口線2538D キハ47-3019

 

宮野~仁保 SLやまぐち撮影

 

宮野1218→山口1224
山口線2544D キハ40 2076

 

山口1358→篠目1428
山口線2545D キハ47 102

 

篠目(俯瞰) SLやまぐち撮影

 

篠目1744→新山口1841
山口線2554D キハ47-3019

 

新山口1918→広島1950
568A さくら568号

 

広島2001→新横浜2327
64A のぞみ64号

夜が明けた。「みやけ」は小さいながらも過ごしやすい宿であった。朝食をとった後,駅へ直行した。こうして振り返ってみると,津和野の町をゆっくりと回っていなかったことに後悔を感じる。今でこそ感性は多少成熟したのかもしれないが,当時は町並みの空気感をゆったり味わうという視点が欠落していた。いささか残念である。

すがすがしい朝を迎えた

各地に散らばった静態保存の蒸気機関車は,何を想うか

非電化区間の鉄道風景は,すっきりしていて気持ちがよい。駅の跨線橋から広い構内を見渡したときの,窓外に広がる開放感がとても新鮮だ。さらに一般化すると,素朴で原始的なものに対する淡い親近感や懐かしさはどこから生じるのだろう。必ずしも,往時を生きて,それを目の当たりにしたわけではないのだが。

晴れた朝,上り列車が入線してきた

原色の世界

キハ47に1時間ほど揺られ,仁保で下車した。ほどなくして,乗ってきた普通列車はキハ187のスーパーおきと交換した。たった2両編成の現代的な特急列車である。特別な急行列車というよりも,単なる有料の速達列車という感じだ。さて,上り勾配が連続する宮野から仁保にかけては,煙を期待できる撮影地がいくつか点在している。今回は,林の中のS字カーブでやまぐち号を待ち受けることにした。

木陰から日だまりへ

ああ,そしてまた聞こえてきた。あの獣の息遣いだ。

シグモイドの向こうから(宮野~仁保)

C57の咆哮

蒸気機関車は生きている

ひとまず目的の撮影は達成した。この辺りから記憶が定かではないのだが,キハ40をついでに撮影しつつ,宮野駅までの5km弱の道のりを歩いたのだと思う。

森をゆく

メモによると,このあと山口駅まで出たことになっている。おそらく昼食も駅前でとったとみられるが,詳細を全く思い出せない。当時の家計簿によれば「昼食」として780円を使ったらしい。極端な表現だが,写真だけがむなしく残って,記憶は風化していく。些末な部分は跡形もなくなってしまう。ここのところ,社会人以降の旅の記憶を何とか回収していこうと喘いでいる最中なのだが,やはり生の感覚,リアルな感覚というのはいともたやすく忘れてしまうものだ。写真はいつも雄弁だけれども,記憶を語る手段としては,結局のところ言葉に勝るものはない。

秋の昼下がり
篠目で下車した

篠目は,給水塔が残る,風情のある小駅だった。最後の撮影は,駅の南側にある山から一帯の山里を俯瞰する計画とした。ところが,当たりをつけておいた場所から登り始めてみたは良いものの,道なき道,ひどい藪しかない。下調べ不足だろうか,通常,こういう場所は獣道ともヲタ道ともつかぬ道が何となくあるものなのだが。とにかく高い場所,日の差す方向へ歩き続けた。ようやく明るくなってきたかと思ったら,尾根筋に出たらしい。しかし木立が深くていっこうに景色が開けない。普通列車の時刻が近づいてきた。どこだ,どこだ撮影地は。焦燥感が襲う。ふと,はるか右下の方で人の話し声がした。数人が集まっているようだった。あれ,あんなところなのか。ずいぶん南側からアプローチしていたらしい。えっちらおっちら,斜面を慎重に下りて,ようやく所定の位置にたどり着き,中に入れてもらった。居合わせた人々は,一体こいつはどこから来たのだろうという驚きの顔を見せた。それもそのはず,歩きやすそうな山道が,撮影者の群れの向こう側,北側の斜面へと細く下っているのだった。

朱色のキハ40がトコトコと走って来た

篠目駅を俯瞰する

山へ去っていった

ああ,ここは西日本の美しい山里だ。赤い屋根瓦,収穫間際の稲穂,柔らかい夕方の日差し。SLの時刻が近づく頃には,ずいぶんと山影が伸びてきた。すでに駅構内の半分は翳りに包まれ,手前の線路が何とか持ちこたえているくらいである。九月も下旬,ちょうど秋分を過ぎ,日没時刻が劇的に早まってくる時期なのだった。やがて,寂しげな汽笛の残響を山あいに漂わせながら,列車はやって来た。

日没が迫る中,C57率いる列車が姿を現した

夕陽に,さようなら

図らずして,吐き出された煙が,金色の稲穂の上に投影された。登山道は間違えてしまったが,苦労してここまで来た甲斐があったというものだ。山を下り,日没とともに走る普通列車山口線を後にした。そして,乗り継いだ新幹線は暴力的なスピードで東へと走り始めた。既に舞い降りた夜の闇が,どんどん深くなる。車内では,翌日から始まる日常を思い出して陰鬱な気分になっていた。窓外には,まだ生まれたばかりの大きな満月が,不気味な赤黒い顔をのぞかせているのだった(いや,正確には満月は翌日であった)。