アドリア海沿岸諸国の旅路(4) ピラン(2019.10.22)
2019.10.22
Zagreb 0700 → Ljubljana 0916
EC 212 Mimara
Ljubljana 1033 (+12) → Koper [Capodistria] 1255 (+15)
IC 503 Pohorje
Koper 1300 → Piran 1347
バス(Arriva)
ピラン(Piran)観光
タルティーニ広場,鐘楼,城壁など
ピラン泊
Art Hotel Tartini
クロアチアを去る時が来た.まだ夜の明けぬ街にスーツケースを転がし,トラムに乗って鉄道駅へ向かう.早朝の時間帯は旧式の車両が多く走っている.押し黙った人々で混み合う車内は,非常灯のみが灯る奇妙な薄暗さであった.
改札に面したホームには,乗車予定のユーロシティ212列車が既に入線している.オーストリア連邦鉄道の客車で編成されるが,機関車は平坦線用の主力機としてユーゴスラヴィア時代に製造されたクロアチア鉄道の1142形で,側面に並ぶ丸窓が印象的である.最終目的地はウィーン.黎明の空の下,国際列車が発車を待つ.今日も天気は良さそうだ.
せっかくヨーロッパを旅しているのだから,新婚旅行といえども鉄道移動は必ず盛り込む.まずは隣国スロヴェニアの首都,リュブリャナ(Ljubljana)まで移動する.ザグレブを発ってほどなくして日の出を迎えた.客車列車の乗り心地は抜群で,安定した走りで朝日の眩しい平原を駆け抜けてゆく.やがて列車はドボヴァ(Dobova)という国境駅に停車.審査官が2回も乗り込んできて,パスポートを入念にチェックされた.なかなか厳重な感じの手続きで,ふらふらとホームに出て国境駅の風景を撮影するような雰囲気ではなかった.そうだ,今まさにクロアチアを出てシェンゲン協定圏内のスロヴェニアに入ろうとしているのだ.逆にスロヴェニアを出てクロアチアへ入る際はここまで厳しくはないという.スロヴェニアも旧ユーゴスラヴィアの一員だが,同国人はどちらかというと西ヨーロッパへの帰属意識が高いようであり,シェンゲン協定に加盟せず独自通貨を使用するクロアチアとの間にはどうも隔たりがあるようだ.協定圏からしてみれば,我々はかつての「東側諸国」から陸路で入国する人間なのである.
リュブリャナまでの旅路はサヴァ川(Sava)とほぼ並走する.空は晴れているはずなのだが,山奥へ分け入るにつれて川霧が深くなった.ヨーロッパらしいコンパートメントの座席は快適である(妻は道中ほぼ寝ていた).ザグレブを発って2時間あまり,列車は定刻でリュブリャナの駅に滑り込んだ.いつの間にか編成は短くなり,牽引機もスロヴェニア国鉄のユーロスプリンターに交換されていた.
乗り継ぎの列車までは1時間ほど待つ.観光を行うほどの余裕はなく,朝昼兼用の食事を駅併設のマクドナルドで済ませた.あと1日余裕があれば,ここを拠点にどこかを訪れることも可能だったかもしれない.
スロヴェニアは内陸国かと思いきや,実に50kmほどの短い距離でアドリア海に顔を出している.今日の目的地はその沿岸にあるピラン(Piran)という小さな港町だ.鉄道は通っていないので,この国の唯一にして最大の貿易港コペル(Koper)まで列車で向かう.一日で国土を完全に横断することになる.乗車するインターシティ503列車は予習ではボロい客車列車のはずだったのだが,入ってきたのは残念ながら310系の電車特急.何かの運用変更だろうか.まあ仕方ない.
列車は丘陵地帯を駆ける.なんとこの路線,主要幹線のはずなのだがディヴァーチャ(Divača)から先は単線となる.コペル港から内陸へ向かう貨物輸送は需要が増大する一方で,鉄道はあまり土木技術が発達していない時代の設備のままとなっており,輸送力に対する大きな障壁となっている.今まさに複線の新線を建設中とのことで,道路と同じように一直線にアドリア海を目指す高架橋やトンネルが近く完成予定と聞く.旧線に長大なトンネルはなく,列車は大半径のループ線を何度も回り込みながら,名もなき信号場や小駅で貨物列車と交換しつつ,車窓の遠景に展開したコペルの港町に向けて徐々に高度を下げてゆく.回り道ではあるのだが,だんだんと景色が開けて海が近づいてくる高揚感は独特のものであった.
コペルではArriva社の路線バスに乗り換えてピランを目指す.列車が遅れていたため,ぎりぎりの乗継であった.途中でイゾラ(Izola)なる港町を経由する.市民の生活路線といった様相だが道路のアップダウンやカーブが激しい.ようやくたどり着いたピランのバスターミナルは,町はずれの海岸であった.後世になって岸壁沿いに無理やり道路を開削したような形だ.
町の中心はタルティーニ(Tartini)広場.今日の宿はこの広場に面している.スーツケースを置き,散策に出かけよう.妻は路線バスの道中でいつの間にか体力を削がれたと見え,げっそりしていた.ピスタチオアイスをご馳走し,体力を回復して頂く.機嫌も戻ったようで何より.
この地はイストラ半島(Istra,イタリア名ではイストリア―Istria)の付け根にあたる場所で,海岸線を少しばかり南下すればクロアチア国境を越えてポレチュ(Poreč),ロヴィニュ(Rovinj)といった,これまた美しい町々が続く.一帯は歴史的にはヴェネツィア共和国そしてイタリアの影響がかなり強く,町並みにもよく表れている.一方でオーストリア=ハンガリー帝国,ユーゴスラヴィアなど,数々の支配の歴史に翻弄された地でもある.ピランの町は本当に小さな規模で岬の中に収まっている.海岸で潮騒を聞きながら,ときに薄暗い路地に迷い込みながら,昼下がりの町を逍遥する.
早起きしてザグレブを発ってから,もう8時間は経つだろうか.車窓をぼんやり眺める中でも思ったのだが,西へ向かうにつれて町がカラフルになり,表情が明るくなってきたような印象がある.地政学的な影響や,旧ユーゴをはじめとする歴史的な支配構造などなど,様々な要素が絡んでいるのは確かなのだが,そのグラデーションを実感するのは面白い経験である.陸続きの旅路ならではといえる.
岬の突端にある灯台を回り込み,北側の海岸へと歩みを進める.午後のひと時,立ち並ぶ店のテラス席にはぽつぽつと客の姿があり,海を眺めながら酒など飲んでいる.いいなあ.さて,行く先々で高いところに登るというのは我々の旅行ではなぜか恒例で,今回も町のシンボルたるユーリ教会の鐘楼に挑むことにした.
面白い町だ.三方を海に囲まれている.残された方角である丘を眺めると古い城壁があり,まさに砦として内陸からの外敵に目を光らせているかのようだ.岬の中にはオレンジ色の家々がぎっしりと集まり,中心部では小さなタルティーニ広場が港湾に面する.ヨーロッパの古い町に多いと思うが,当地も例にもれず町中には狭い石畳の路地や階段が錯綜しており,おそらく街路の構造は中世からさほど変わっていないと見える.バスターミナルが町はずれの海岸にあるのも,今さらながら納得した.内陸側からバスが中心部まで乗り入れられるような構造ではない.絵画的,情緒的な町の美しさは,いわゆる現代的な「バリアフリー」と引き替えなのかもしれない.
鐘楼を降り,修道院にふらりと立ち寄りつつ,タルティーニ広場まで戻ってきた.この一帯は製塩が盛んなようで,塩を土産に持って帰ることにした.今日は移動距離も長く,それなりに散策したところではあるが,ここで宿へ帰らないのがこの旅行.良い具合の西日になってきたので,あの丘の上に聳える城壁を目指して再び急坂を登ることにした.西向きの岬なので午後の海は完全に逆光であったが,黄昏や日没となると様相は劇的に変化する.
城壁を登り詰めると,町全体が一望のもとである.あれほど鮮やかだったオレンジ色の屋根は今や夕闇に沈みつつあり,急速に減衰してゆく斜陽を弱々しく映すのみとなった.北側では海と空が溶け合い始めており,昼と夜の境界をまたぐ特殊な時間帯に立ち会っていることを実感させられる.西の方角を見る.少し雲が多いかなと思ったが,諦めずに観察していると,落陽の姿がどんどん鮮明になってきた.光線の波長がますます延長していることを感じつつ,刻々と変化する海の質感や空の色彩にレンズを向け,シャッターを切り続ける.
晴れていてもたいていの場合は水平線近くの雲海に紛れてしまうのだが,ここまで鮮やかに落日を見届けられたのはいつ以来だろうか.妻は初めて見たと言っていた.日没には普遍的な魅力があるが,異邦でその一部始終に立ち会う経験は貴重であった.
城壁を下り,タルティーニ広場に帰ってきた.人通りは少なく,ぽつぽつとともり始めた灯りが物悲しい.ハイシーズンにはヴェネツィアとの間でアドリア海を渡る航路も設定される町で,近隣諸国の中ではそれなりに知られた観光地のはずなのだが,国際的な知名度はまだ低いものと思われる.夕暮れの漁港で水揚げ中の船や,押し黙って停泊するヨットの群れなどを眺めた後,バスターミナルへ向かう途中にある海沿いのPiratというレストランで夕食をとった.当たり前だが,海産物が非常に美味しい.またスロヴェニアの人々はみな親切で,旅が楽しい.
宿に帰り,眠りについた.