北の鉄路(5) 南進(2015.06.22)

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霧雨の朝、急行はまなすが札幌へ急ぐ(2015.06.22 沼ノ端~植苗)

2015.06.22

撮影: 

下りはまなす(沼ノ端~植苗)

下りカシオペア長万部~静狩)

 

渡島半島周遊,水無海浜温泉,恵山

 

函館泊

ホテルテトラ

行程は折り返しを過ぎた.海峡を渡る夜行列車群の撮影に特化した旅なので,毎朝が非常に早い.3時台に起きるなんて,まるで漁師のようだ(時間帯の制限された,ある種の狩りともいえるので,基本的な概念は共通している).今朝は比較的遅めのスタートである.そうはいっても,宿を出たのは4時半.まずは沼ノ端の近くの跨線橋で下りのはまなすを仕留めた.本州での晴天が嘘のような,陰鬱な霧雨である.先行の3087列車は残念ながら積載がスカスカであった.下りの千歳線に並走するのは複線の室蘭本線.ここから先,岩見沢に至るまでは完全なローカル区間だというのに,明らかに設備過剰といえる.ちなみに上りの千歳線は,いくぶん南側に離れた湿地帯の中をカーブを描きながら走行している(昨夕の撮影地に相当).不思議な配線だ.

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はまなすの露払い,3087列車(2015.06.22 沼ノ端~植苗)

前日にせっかく新千歳まで飛んできたところだが,今日は函館まで延々南下し,そこに泊まる行程を組んでいる.というのも,翌朝の下り北斗星を早朝の江差線内から追跡していくという企みがあるからなのだが,今から振り返ると我ながらかなりアグレッシブな計画である.ただ,各撮影地間の距離とか,北斗星カシオペアの運転日などを考慮したうえで,最終的にそこに落ち着いたものと記憶している(江差線内から撮るならカシオペアではなく北斗星,という思考だったのだろう).霧雨に濡れつつ跨線橋からは早々に撤収し,国道37号線,いわゆる胆振国道を150kmほど西へ運転した.ちょうど一年前も撮影でこの周辺を訪れており,洞爺とか豊浦とかの景色には懐かしさを覚えた.広い道幅,そして家々の間隔.北海道の道路風景は独特である.そういえば小幌なんて駅もあったなあ.山深い礼文華(れぶんげ)の峠を越え,やがてたどり着いたのは静狩の跨線橋.ここは2010年に訪ねたことがある.あの時は,はまなすで北海道に渡ったのだった.

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いつまでも天気は勝れない(2015.06.22 長万部~静狩)

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カシオペアが疾走する(2015.06.22 長万部~静狩)

それなりに広大な景色にもかかわらず曇天.これだと荒涼感は中途半端だし,被写体の発色も悪く,あまり良いところがない.順光至上主義ではないが,やはり落ち込む.時刻はまだ9時にもなっていない.次なる撮影対象となるともはや夕方で,今の折り返しにあたる上りカシオペアである.もともとは北舟岡あたりで押さえようかと漠然と考えていたものの,それだと函館入りが遅くなりすぎてさすがに無謀だ.天気の見通しも悪く心が折れたことから,上りの撮影は捨てて早めに南下してしまう方針とした.

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森でラーメンを食べる

こちらは軽のレンタカーだというのに,大型トラックに煽られながら国道5号線を南下する.森で次郎長本店のラーメンを食べ,早めの昼食とした.この辺りは国縫、黒岩、八雲、落部など、小さな漁港の町が噴火湾に沿って点々としている.今から思えば,脇道に逸れて町の中を走ったり,場合によっては車を降りて少し歩いたり,あるいは漁港の風景をのんびり眺めたりしても面白かったのかもしれない.ただし,さすがは北海道,家どうしの間隔はやはり広く,本州ほど「ギュッと詰まった」ような魅力的な路地には乏しい印象であった.とはいえ,6年前の当時はまだ旅において「町の表情を真剣に観察する」という視点が欠落していたことは悔やまれる.ダイヤ,風景,気象,天文の理解に基づく撮影地の選定とか,観光計画や食事場所や宿泊地の検討とか,具体的な立ち回り方の決定とか,実際の撮影や旅程遂行の技能とか,そういうものは中学時代から実に10年以上のトレーニングを経て,ある程度の域には到達していたのだと思う.しかし,一言でいえばコンテクスト,具体的にはその地の歴史や地理,産業や文化といったような,旅の理解をさらに深めるような事柄にはあまり目が向いていなかったようだ.ただし,今までに曝露された旅先の環境は国内外を問わず数知れず.その経験的知見の蓄積をアドバンテージと信じ,この記事をしたためている30代以降は積極的に感覚を研ぎ澄まし,旅先で出会う豊かな営為と真正面から向き合っていきたいものだ.

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噴火湾潮騒を聴く
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瀑布のごとく,波が分かれてゆく

森を過ぎた後は,海岸沿いの国道278号線で渡島半島の東半分をぐるりと回ることにした.途中までは函館本線のいわゆる砂原支線と並走するが,鹿部から先は鉄道が通っておらず,未踏の地である.天気はいくぶん回復してきた.ところどころに小さな漁村が点在しており,車を停めて海岸の風景を撮影したり,カモメの群れを眺めたりなど行っていた.

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海岸に寄り添う小集落

椴法華(とどほっけ)という集落を過ぎると,恵山岬がいよいよ近づいてくる.岬の周囲は断崖になっており東尋坊を思わせるようなスリルがあるのだが,海の表情はいかにも太平洋といった感じの穏やかなものであった.遠い水平線を貨物船が泳いでいる.室蘭あるいは苫小牧を発った船だろうか.海食崖を下りた岩場ではいささか猛々しい波濤にも遭遇するのだが,日本海のような悲愴な感じはあまりない.

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恵山岬を訪ねる
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太平洋を眺める午後

実は海岸沿いの道路は半島を一周しているわけではなく,岬のさらに奥の最東端は行き止まりとなっている.それでもわざわざ訪れたのは,突き当りの水無海浜温泉に入ってみようという思いつきからであった.活火山である恵山の麓ということもあり,すぐそこの海岸の磯のような場所から温泉が湧き出ている.満潮のときは全部沈んでしまい入浴できないらしい.しかし脱衣所こそ設けられているが,男湯や女湯の区別はおろか,仕切りも何もないただの海岸.なかなか面白い.

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開放感とともに磯の温泉に浸かる(左の写真のごとく,脱衣所からはやや距離がある)

周囲を含め誰もいないことを確認したため普通の露天風呂と同じように全裸(+手ぬぐい)で入ったのだが,この記事を書いている横で同温泉について検索してみると「水着は必須アイテム」「水着着用が望ましい」といった記載を散見する.当時はとくに気にすることなく,海を展望する環境で開放感もこの上なかったのだが,実はグレーゾーンだった可能性が高い.まともな感覚をもった通常の旅行者には水着の着用をお勧めする.またフナムシが近くをカサカサ這いまわっていたのがやや気になったが,そういうのが苦手な方は少し厳しいかもしれない.

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露天風呂の全景

連日ともビジネスホテルのユニットバスでシャワーを浴びるだけであったので,よい気分転換になった.先述のごとくこの先の海岸線を回り込む道路はないので,いったん椴法華の中心部まで戻ってから,恵山の西麓をなぞるように車を進める.夕暮れまではまだ時間がありそうだ.せっかくの機会なので,恵山にも登ってみよう.標高300mの五合目近くまでは狭隘ながらも車道が通じている.登りつめた先の展望台には,海峡の夕景が広がっていた.

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海峡を望む.かすかに下北半島が見えるだろうか
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渡島半島の南岸にたどり着いた.振り返ると,頂上はまだ遠い
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夕刻の火山

駐車場からは登山道が奥へ伸びていた.この辺りは熊が出るらしい,恐ろしや.しばらく写真を撮りつつぼーっと佇んだ後,登山道路を麓まで下りた.そして,海岸線沿いに函館まで向かう.海がすぐそばに迫る,なかなか風光明媚なドライブルートである.278号線を走っていると,放棄されたと見られる橋梁やトンネルのような建築が右手山側の沿道に見え隠れすることに気が付いた.まったく予習していなかったのだが,戸井線の遺構のようだ.完成を見ることなく棄てられた,いわゆる未成線である.戦時中,軍事的な背景から津軽海峡に面したこの地に鉄道敷設が始まったものの,戦後ほどなくして計画が頓挫したという.漁港への脇道に逸れたところに車を停め,コンクリートのアーチ橋を姿を写真におさめた.近くにはトンネルもあり,ポータルの近く,ほぼ線路の高さまで登ることができた.もしも完成していたら,さぞ眺めのよい路線になっていたことだろう.

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沈黙のアーチ橋
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この地に鉄道が通ることはなかった

廃線,廃道,廃墟,廃校などの専門家からしてみたら何を大げさな,といったところかもしれないが,個人的には思いがけぬ出会いであった.さて,函館まではもう一息だ.間もなく19時というところ,一年のうち昼が最も長いシーズンとはいえ,さすがに日が暮れてきた.空港の近くでは滑走路に降下する飛行機を紫色の空に仰ぎ見た.そして市街地にたどり着く頃にはすっかり夜の帳が下りていた.すぐそばの海峡に漁火が灯っていたので,函館山東岸の漁港近くからその姿を写してみた.

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漁火(左)と海岸線の夜景(右)

夕食は,近くのたつみ食堂なる定食屋でかつ丼を食した.この食堂,妙に記憶に残っている.というのも,中学3年時の鉄研旅行で訪れたことがあったのだ.それにどういうわけか連続無休営業おめでとう,という主旨の貼り紙の記憶もなぜか鮮明である.その当時は2005年だから,実に10年ぶりの再訪.発掘したら写真が出てきたので掲載する.食膳も割り箸も昔と変わっていないようだ.

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今回のかつ丼(左)と,2005年訪問時のイクラ丼(中),そして貼り紙(右)

最後の撮影は,夜の函館駅.上りのカシオペアを出迎えた.銀色の車体はどうも違和感が強く,夜行列車という雰囲気に乏しい感じがして写欲をそそられないのだが,まあ致し方ない.北海道新幹線の開業を翌春に控えた今や,海峡の歴史が変わろうとしていることは確かである.その節目に何とか立ち会えたことは,幸運と思わねばなるまい.

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カシオペアが入線(2015.06.22 函館)
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闇に消えてゆく銀色の客車(2015.06.22 函館)
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任を解かれたDD51と,発車を待つキハ40(2015.06.22 函館)

あとは宿で眠りにつくのみであった.

 

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