アドリア海沿岸諸国の旅路(6) ヴェネツィア(2019.10.24)

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夕刻のサンマルコ広場

2019.10.24

 

ヴェネツィア(Venezia)観光

アカデミア(Accademia)美術館,ジュデッカ(Giudecca)島,ゴンドラ乗船,サンタ・マリア・グロリオーサ・ディ・フラーリ(Santa Maria Gloriosa dei Frari)聖堂など

 

ヴェネツィア

Hotel Metropole

またもや,前回の更新から2か月以上が経ってしまった.日常のルーチンとして執筆作業をもっと組み入れられれば良いのだが,いつも後回し,後回しになる.某所で読んでから妙に納得したのだが,確かにこういう「重要だが緊急でない仕事」をいかに高い水準で行っていけるかが,今後の課題と思う.学生時代に比べると「重要で緊急の仕事」および「重要でないが緊急の仕事」の割合が格段に上昇した今や,それらのみで満足して終わるのではなく(両者はできて然るべき仕事である),さらなる努力を行いたいところである.

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目覚めると,陰鬱な曇天

さて,Metropoleに投宿した翌朝のヴェネツィアはあいにくの曇り空であった.これまでの旅程は晴天に恵まれてきたし,もともと午前中はアカデミア美術館の見学に費やす予定だったので,丁度良いともいえる.ところで,Metropoleの朝食は感動的な美味しさであった.一昔前までは(もちろん旅行の性質にもよるが)早朝出発とか深夜到着とか,夜行列車に連泊とか,とにかく一日の時間を長く使い倒すことを重視する場合も多かったが,今となってはとくに急ぐわけでもなく,天候に一喜一憂するでもなく,上質な宿や美食をゆっくり楽しむ良さがだんだんと分かってきたような感じもある.

アカデミア美術館に関しては,撮影が禁じられていたこともあって写真が一枚も残っていない.ティントレットやヴェロネーゼの代表作(らしきもの)を観て回ったのだが,いざ一年半の年月を経て振り返ってみると「なんかすごかった」程度の感想しかひねり出せない.大変情けない.なお,高名なウィトルウィウス的人体図もこの美術館の所蔵とのことだが,いかんせん観た記憶がない.不安になって調べてみると常設展示ではないようなので,いくぶん安心した(そんなものも忘れるくらいに感性が劣化したのかと思った).それにしても,もう少し基本的な美術史というか,当地に関連する周辺知識を予習しておくべきであった(この点,旧ユーゴスラヴィアについては多少なりとも付け焼刃の知識を仕入れていたかもしれない).某所での旧友の言葉を引用するが,「世界史や地理、地学や生物などの知識を生きたものとして実感する大人のフィールドワークこそが海外旅行の醍醐味」とは本当に名言で,単なるスペクタクル的な面白さを追求するのは大学生くらいまでなのかもしれない.もちろん,それはそれで重要な要素ではあるのだが.

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ジュデッカ運河を横目に昼食

昼はヴァポレットで対岸のジュデッカ島へ渡り,La Palancaという店に入った.以前,当地の学会に参加した上司が訪れたことがあるそうで,ヴェネツィアへ行くならぜひと勧めてくれたのだった.店は地元民で賑わっている.せっかくなので運河に面したテラス席に着いた.イカスミのスパゲッティをはじめ,海産物を使った名物料理を注文.店主のおっちゃんは気さくな人柄で,とくにイカスミを頼むや否や"Buono, buono !!"と満面の笑顔を見せた.料理はどれも絶品.運河を横目に,ビールを片手に,楽しいひと時であった.再訪したい店.

それにしても,いわゆるコロナ禍に見舞われる現在,現地開催の海外学会なんていつになったら実現するのだろう.そもそも,国内外を問わず学会とか勉強会,それにカンファレンスなどは,オンラインで大体の目的が達せられることが明らかになってしまった(むしろ,居ながらにして同時進行的に色々な知識を仕入れることができるメリットが大きい).こうして時おり旅行記をしたためながら過去を回想すると,行っておいて良かったという安堵と,先行きの見えない焦燥とが交錯する.

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ゴンドラに乗船し,カナル・グランデを回遊

当地を訪れたならゴンドラは外せないだろうということで,昼餐の後はふたたび本島へ戻り,アカデミア橋のたもとの船着場から乗船することにした.4年前の卒業旅行の時は島の奥まった場所から始まる,狭い水路がメインのコースだったと記憶しているが,今回はカナル・グランデを主体とする経路.さすがに外海に近いためか,これが結構揺れるのでそれなりに船酔いした.年を重ねるごとに(といってもこの当時は28歳だが)半規管機能が脆弱になってきているように思う.といっても,それなりに船酔いの経験はある.高校1年の夏に家族でオーストラリアを訪れ,ケアンズ(Cairns)から珊瑚礁のグリーン島へ渡る船に乗ったことがあるのだが,往復とも海が荒れていて恐ろしい上下揺れに苛まれ,嘔吐寸前の地獄のような船内であった.あとは大学6年の夏の北海道鉄道撮影の帰路,函館から津軽海峡フェリーに乗ったが,外洋へ出た途端に揺れ始めて「これはやばい」と思い,カーペット室でそのまま寝たのだった.しかし佐渡島神津島屋久島などへ渡る船に乗った際は何ともなかったように思う.何が違うのだろう.そういうわけで,ゴンドラの回旋揺れにだいぶやられ,げっそりと上陸した.

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聖歌隊席では広角シンメトリーを追求してみる

ベンチに座ってひと休み.船酔いからの回復を待つ.後で妻から指摘されたのだが,この旅ではカフェらしいカフェに入ることがなかった.どの日程も大体は昼も夜もボリュームある食事なのでやむなしとは思われたが,どうやら旅行における「ひと休み」とは店に入ってお茶やコーヒーを飲むというのが通常の感覚であるらしい.なるほど,そういうものか.でもそれならそれで,入る店や時間を予め決めておきたくなるのが性(さが)なのである(一種の変人かもしれない).

昼下がりは多少天気が持ち直し,つかの間の日差しも見られるようになった.サンマルコ広場に面したAntica Murrinaなるガラスアクセサリーの店で買い物.夕刻は広場をぶらぶら歩いた後,カナル・グランデの対岸に渡ってサンタ・マリア・グロリオーサ・ディ・フラーリ聖堂に入って内部を見学.聖歌隊席は壮観で,広角レンズで色々な撮り方を試してみた.外へ出る頃にはふたたび雲が厚くなり,陰鬱な黄昏といった様相であった.リアルト橋を渡った後は,Giacomo Rizzoなる食材店で名物のパスタやオリーブオイルを土産に仕入れたり,北へ歩みを進めて,前日も通りがかった有名な書店,Libreria Acqua Altaで小物を買ったりもした.この町はただ歩いているだけでも十分に楽しい.

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黄昏のリアルト橋

さて,夕食は予約しておいたVini da Gigioに入る.有名店らしいが気軽な雰囲気で,とにかく魚介が美味しい.味付けも日本人好みで,上質な洋風居酒屋に近いものがある.ちなみに写真中,揚げ物に添えられた卵焼きのような黄色い塊はトウモロコシから作るポレンタなる郷土料理である.ピランのレストランでもほぼ同じものが付け合わせとして出てきたことを思い出し,食文化は歴史を色濃く反映することを実感した.なお,ボトルをほぼ一人で空けて酩酊してしまった前夜の件があるので,今夜のワインはカラフェとなった.大満足のうちにMetropoleへ帰り,ヴェネツィア最後の夜が更けていった.

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魚介を味わい尽くす
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ヴィヴァルディゆかりの歴史的建造物をリニューアルしたMetropole

ぱっとしない天候のせいか,著しく写真の少ない一日となった.

 

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