晩夏のうわごと

転換点

真夏の雨嵐は過ぎ去った。駐車場からの帰り道,運河の橋上で立ち止まり空を仰ぐと,真夜中に千切れた雲の合間に,いくぶん欠けた月が見え隠れしていた。ああ,この日が来たんだな,と思った。興奮冷めやらぬまま,突如として広くなった寝床に潜り込んだ。どんな夢を見たのだろう,まるで覚えていない。次に気が付いたときには,辺りはすっかり明るくなっていた。ほどなくして,報せが舞い込んできた。通知画面に小さく表示された写真を見て,文字通り飛び起きた。この上ない安産だった。

待ちわびた太陽(2020.10.19 屈斜路湖

あの日を境に,価値観が根本的に変質した。広大な宇宙の片隅に,己の形質を受け継ぐ小さな生命が誕生した。何だろう,この感覚は。容易には説明しがたいものであった。つまるところ,本質的に命を賭けてもよい,と思える存在が現れた。そして,自らの眼前に横たわる時間といざ冷静に対峙してみると,同時に得体の知れない焦燥感が急激に膨張してきたのであった。

 

ジレンマ

もう32歳も終盤,今や数々のジレンマが体内でうごめき,重層的に共鳴している。

挫折感の原点(2014.07.06 ニューヨーク)

本業においては,常日頃から嬉しいとか喜ばしいという内在的な感覚を大切にしつつ,同時に外界から自ずと生じる謝意を誠実に享受してきた。しかし,それらはいわば業務上で生じる正の副産物にすぎない。当業界では,その副産物こそが至上の生きがいとして語られる場面をしばしば目にするが,どうも昔から自分にはなじまない考え方である。もちろん,副産物のみで満足するのは全く悪いことではないし,幸福でさえある。一方で,学術的な性格をもつ主産物に対しては常に理知的かつ探究的でありたいと願ってはいる。だが,かつて時刻表や鉄道情報誌を貪り読み,意気揚々と撮影へ出かけたときと同様の情熱をもってその世界に没頭できるかというと,今のところ否である。ここに抑圧的なジレンマが生じており,年々増大しているように感じてやまない。要するに,贅沢な話なのだが,副産物だけで満足することはあり得ない。かといって,主産物に対する興味や関心が卓越したものであるかというと,それも違う。周りを見渡すと,このように主産物と副産物を区別する考え方はどうやら一般的ではなく,その意義もあまり認識されていない。大半の人びとは概ねどちらか一方で十分満足しているわけだし,逆に双方を巧妙に統合できる少数者の場合にはそもそも区別する必要性がないから,当然のことではある。

ブルートレインを追いかけた遠い日々(2014.06.04 室蘭本線 礼文~大岸)

どちらの産物をとっても満足するものが得られない,というこのジレンマは,より身近な表現に置き換えて考えてみると,「得意」と「好き」の区別が永らくあいまいであったこととも深い関連があるのだと分かる。得意なことを好きになろうとか,逆に好きなことなら得意なはずだとか考えるから,おかしくなるのだ。もしくは,時として深い憂鬱が訪れるのだ。ある程度は割り切らねばならない。だがまれに,両者が完全に一致している者がいる。そういう人たちには,残念ながら逆立ちをしても敵わない。かたや自分には,傍からは得意に見えることを裏打ちするだけの情熱がない。なれる(機会がある)なら,なってもいい。やれる(同)なら,やってもいい。書ける(同)なら,書いてもいい。今まで,はっきり言って全部これ。実際,それなりにできる。でも,それ以上はできない。情熱が弱いから,一流にはなれない。ほど遠い。得意なことを盲目的に好きになることはできない。かといって,好きなことが必ずしも得意というわけでもない。ここにもジレンマが存在しているのだ。分かりやすく卑俗な言葉を使えば,なかなかの適職ではあったが,いわゆる天職ではなかった,ということになる。もっとも天職などというものは,概念としては存在してもよいのだろうが,少なくとも私などが出会うことは生涯なさそうだ。また一般的に見ても,そんな気軽に使うべき言葉とはいいがたい。

往時の栄華はいずこへ(2022.02.26 関西本線 島ヶ原)

別の見方をすると,いわゆる一流への憧憬や努力が,精神的な豊穣と根本的には結びついていない。すなわち,豊かな精神性を追求するほどに,社会的な発言力は低下するというジレンマもまた存在する。このジレンマをこじらせているのは,発言力を低下させないためのメンテナンスは社会的なマナーであるという思い込み,もしくはある種の強迫観念である。かなり乱暴な物言いだが,メンテナンスの余裕がなく,いい歳をしてまともな発言力をもたない者は,やはりみっともないし,なんだか情けないと感じてしまう。一方で,理想的な精神世界を犠牲にしたくはないという意志もまだ残っている。そういうわけで,気がつけば「何を大げさな,豊穣など賭けずとも発言力くらいは確保できますよ」という境地を漠然と指向している現状がある。その一環で,直近の一年ではとりあえず新たな資格を二つ取得し,博士論文(乙)も一応形にしておいた。ただし,「誰でも」が誰なのかは措くにしても,「誰でもやっていることはできて当然」という消極的な基本姿勢を維持するようでは,この先,革新的な成果など生み出せるはずがない。あわよくばそれすらも,近年喪失した「没頭」を経由せず同じ姿勢のまま実現できないか,なんて夢見ることもあるのだが,実際はそんなにナメた話,あるいは失礼な話はないし,現実は甘くもないのだ。

試験前夜の彷徨(2023.06.24 神戸・元町)

主産物と副産物のジレンマ,「得意」と「好き」のジレンマ,そして社会的発言力と精神的豊穣のジレンマ。いずれにしても,どちらか一方を取り立てて尊重できるわけでもなく,結果として,可もなく不可もない,あたかも及第点の「コンチェルト」を作曲することに今は腐心している。そのコンチェルトとやらは,一般的な感性で受け止めるなら,十中八九は聴き心地のよい旋律に仕上がっているのだと思われる。だが本当に聴く人が聴けば,「なるほど,うまい具合にバランスが取れてはいるが,後世に残るような一流の名曲ではないな」という批判的な感想を抱くことだろう。人生を賭けるでもなく,かといって"one of them"に甘んじたいわけでもない,絶妙な落としどころはどこだろうと探索するような,ある意味で卑しい魂胆そして心構えを,きっと見透かされるに違いない。

 

失望

この業界に入ったのは,もう8年以上も前のことだ。念願を叶えたという感慨などは,あったとしても極めて希薄であった。当時も,あるいは6年前も,何なら今も。正直なところ「ああ,またなにか(そういうフェーズが)始まったんだな」という程度の感覚だった。このようないささか冷めた感情が根底にある中,思索に耽るといつも行き当たるのが,「命」と唱えてさえいれば全てが赦されるというドグマの忌まわしさであった。たとえば徹夜した機長の便に乗るとか,常識ではあり得ないし,あってはならないことだ。だがこの業界には「高尚なことをやっているのだから,そのくらい許せ」という旧来の驕りが未だに垣間見える。たいへん愚かしい。なにか,勘違いしているのではないか。高度ではあるが,決して高尚ではない。むしろ,高度であるからこその重い責任を自覚せよ。そして「特殊性」という言葉にも身の毛がよだつ。この言葉は,ときには当業界の無知や傲慢の発露として,ときには不健全な労働に対する言い訳としてしばしば登場してきた。いったい,何がそんなに特殊だというのだ。我々がこのドグマを信奉する「高尚な」聖職者に仕立て上げられ,しまいには精神性という面で無意識のうちに殉教することを免れ得ない病的な構造にこそ,その「特殊性」とやらを見出すべきである。さらに注意深く観察すると,輪をかけて気味の悪い構造も見え隠れする。すなわち,大多数の人間は業界の教義に盲従しているわけだが,一部の賢しい人びとはこれを逆手にとり,敬虔な信者を装いながらも界隈をあまねく支配している。いやはや,何ともグロテスクな話だ。

殉教:Martyrdom(2013.03.11 カンタベリー大聖堂 剣先の祭壇)

キャパシティを上回ったものはできない,できないものは仕方がない,という当然の諦念を抱くことはどこまで許容されるのか。インフラストラクチャへ向けられる眼差しは時代を下るにつれ厳しくなったと感じる。たとえば,便数半減で運賃は倍増です。あるいは,夜間は水道や電気の供給が大幅に制限されます。でもマンパワー不足だから仕方がない,実は今までが異常だったのです。果たしてこれをどの程度受け入れられるか。私もすべてを受容する自信は,正直なところあまりない。だが,他のインフラストラクチャと決定的に異なる点を忘れてはならない。すなわち,当事者らの高邁な使命感とやらに平時から全面依存し,彼らの健全な精神性ひいては人権を蹂躙しながら維持してきたという暗い歴史である。これからは,法規にもとづいて新しい体制を構築すればよいだけの話だ。だが,どうして従来体制をいかに維持するかがいつも議論の焦点となるのか,よく分からない。巷で話題のB水準とか,もはや付き合いきれるものではない。災害時とか,有事の際にどうするかという議論なら,百歩譲ってまだ了解できる。だが,これは平時の話なのだ。できないものはできません,無い袖は振れません,でよいはずだ。しかしわれわれは昔から,極限まで無理をして何が何でも何とかすべし(それができない者は落伍者)という呪いにかかっている。さらに厄介なのは,実際に好きこのんで何とかしてしまう者が一定数いることであり,それがこの界隈の問題を複雑化,そして泥沼化させている。まさに,獅子身中の虫。「何と崇高な仕事だろう」と感激したようなことを言いながらドグマティズムを操る,件の賢しい人びとは,きっと裏でほくそ笑んでいることだろう。

 

欲望

本来なら趣味に充てるべき時間をこんなにも切り売りして,何か得られるものはあるのだろうか。いや,切り売りというが,実際のところは売れてすらいない。オンコール,という悪しき慣習について書き始めると切りがないし,露骨に低俗な話でこの窓辺を汚したくはないので詳細は省くが,それにしても,これまでどれほどの貴重な時間を無償で差し出してきたのだろうか。仕事を行うでもない,かといって別の有意義な活動に充てられるわけでもない。まさに無為そのものであり,ふと立ち止まって冷静になると,やり場のない悲愴感に襲われる。もっとも,「仕事=趣味=人生」というトリニティを余すところなく体現する聖人君子の諸家にしてみれば,こんなものは愚問でしかなく,また決して理解できない凡人の苦悩でもある。だが,私はそのような聖人君子にはほど遠い,凡庸で矮小な人間であった。しかも,いわゆるコロナ禍を経験したからなのか,はたまた単純に年を取ったからなのかは定かではないが,たとえ近い将来であっても果たして健康な状態のまま時間を存分に使うことができるのだろうか,という強烈な不安に日々苛まれるようになってきた。

晩秋をゆく(2014.11.09 只見線 会津桧原会津西方

あそこへ行きたい,ここへも行きたい。あれをやりたい,これもやりたい。あれを食べたい,これも飲みたい。一人っ子として育った人間の悪いところなのか,はたまたよいところでもあるのか,とにかく興味や関心のあるものは,すべてを手に入れたい,分析したい,最終的には恣にしたいという根源的な欲望が,心の中で静かに,しかしどろどろと渦巻いている。傍からはそんなふうには見えず驚かれるかもしれないが,実はとても強欲な人間なのである。だが,あらゆる欲を満たすには,とにかく今は時間がなさすぎる。ではいったい,いつまで待てばよいのか。そもそも,待つこと自体が正解なのだろうか。二十年後か,それとも三十年後か分からないが,ようやく時間ができた頃には,体力はとうに衰え果て,当たり前だった健康さえをも失っているかもしれない。極端な話,生きている保証すらない。ある日突然に人生の希望が絶たれてしまう様を,この現場ではいやというほど見てきた。また,今日の激動の時代にあって,それぞれの旅先もずっと今の姿のままでいるとは限らない。そして,何十年先になってもなお,現在と同量そして同質の熱情や感性が備わっているかも定かではない。したがって,思い立ったら直ちに実行に移す,という行動様式が当然重要になってくるわけだが,あいにく現在の生活はその様式に真っ向から対立するものである。忌まわしきドグマティズムに殉ずるわけにはいかない。しかも悲しいことだが,殉教者に対する世間の眼差しは,意外にも冷淡である可能性が高いと予想している。それっぽく聞こえる及第点の「コンチェルト」もほぼ完成したことだし,そろそろ時間の使い方を真剣に考え直すべき人生局面である。

 

悲哀

年を取ったことの証なのだろう,日常の中で「世代」を意識する機会が明らかに増加した。十年ひと昔,という言葉があるが,現実はそんなに悠長なものではない。世代に関しては五年単位くらいではないかと思っている。五年も上の世代になると,本業に対する考え方はまったく違う。五年下も,また然り。二十年,三十年も離れてしまっては,もはや共通の認識をもつことは困難である。本業での具体的な例を示すのは卑俗な感じがして気が進まないのだが,話を分かりやすくするためには仕方がない。われわれには,執刀した患者の状態がとにかく気になり,いざとなればいつでも足を運ぶ,という独特の感覚が多少なりとも存在する。おそらく自分の世代にはこの感覚が辛うじて残っているのだが,これからの世代には必ずしも当てはまらないのではないか,と予想している。かたや,年がら年中職場に泊まり込み,半ば住んでいたような世代もたくさんいる。逆に彼らからしてみれば,本業に対する私の認識など甘ったるすぎて,まるで理解できないことだろう。

切り拓かれた秘境(2017.08.28 黒部ダム

黒部の太陽』(1968年)では,関電トンネル貫通という世紀の難工事と,それにまつわる人間模様が描かれる。『砂の器』(1974年)の今西刑事は,犯人検挙の執念のもとに夜行列車で各地を駆けずり回る。『マルサの女』(1987年)の熱血漢,花村統括官は「四日も家に帰ってない」という。いずれも,私にとってはある種の了解可能な感激を呼び起こす描写である。年代ごとの微妙な差異があるとはいえ,これらの時代に生み出された各作品を愛おしく思う。だが五年,あるいは十年下の世代には,もしかすると「何ですか,それ」という感じで,まったく共感が得られないかもしれない。要するに,良くも悪くも,根性論とか精神論の時代が終焉を迎えつつあるのだと思う。たとえ今までが異常だったとしても,逆説的だがこれらに救われている部分もあった。だが,この社会は物質的にも精神的にも,おそるべき速度で貧困へと突き進んでいる。その結果,これまで当たり前のように身近に存在していた,いわゆる「古き良き」ものが,どんどん姿を消している。つい先日の対話でも気付かされたところだが,近年の鉄道車両で流行りのUVカットガラスは,まさに貧困の象徴である。ブラインドとかサンシェードを省いて製造費を節約するという物質面での貧しさばかりか,緑色や茶色に汚された景色をさも当然かのように乗客に見せるという精神面での卑しさをも表しているように思えてならない。しかも,そんな列車からどの駅に降り立っても,今や駅前には無個性で画一的な街並みが延々と続いているだけだ。とにかく,つまらない。豊かさを感じないのである。

夜行列車の終焉(2016.01.11 函館本線 函館)

われわれ平成初頭生まれというのは,多少の理不尽や泥臭さを辛うじて理解する(いや,認識する)最後の世代である。幼少期から昭和の残り香を嗅ぎ取り,身近にあった前時代の遺物に親しんできた影響が大きいのだろう。それでいて,この「スマートな」時代にもまずまず順応している。中学から高校にかけてインターネットが本格的に到来し,いわゆる情報化社会と何とか上手に付き合ってきたふしがある。だがしかし,両者の狭間からいつまでも抜け出せず,もがき苦しんでいるというのがこの世代の実情そして悲哀ではなかろうか。従来のインフラストラクチャを維持することへの諦念や,例のドグマに対する強い嫌悪感を,あんなに偉そうに語ってきたけれども,私自身も実は葛藤に苦しんでいたのだ。かたや趣味の世界では,現代に残る「古き良き」ものを追いかけ,かたや仕事となると,忌まわしい教義と訣別して無感情のまま効率を追求する。それは,いわゆるダブルスタンダードではないのか,もしくは単なる二枚舌ではないのかと,自問自答することがないと言えば嘘になる。

 

エングラム

閑話休題。見てのとおり,私はすっかりスレてしまった。だが,時がもたらす必然だったのかもしれないとも思う。それにひきかえ,幼若な彼女の脳はまっさらである。いったい,どういう世界に生きているのだろうか。何を見て,何を聞き,何を考えているのか。たいへん興味深い。これまで,脳の病に倒れ,手足を操れなくなった,あるいは言葉を失った人びとを数多く診てきたが,発達の過程で見せる不完全な一挙手一投足,あるいは極めて未熟な言葉は,彼らの症状とどこか類似しているようなところがある。そして,通常は取り返しのつかない障害として遺るはずのものが,あたかも逆再生のごとく改善していく様を目の当たりにしているようで,とても不思議な感じがする。たとえば,当初は手の存在に気が付いてすらいなかった。自分の意思とは関係なく,顔にバシバシと当たる何か,というくらいにしか思っていなかったのが,そのうち,「わたしの て なのか」「うごかせるのか」というふうに存在を認識し,今となっては当たり前のように手を使いこなす。ちなみに右利きのようだ(ということは,優位半球は左ということでほぼよいのだろう)。やがて,足の存在にも気が付いた。以降は同様で,もう自立歩行が始まりそうな勢いである。そして,言語はどのように習得するのか。思考はどのように形成されるのか。また人格とはいったい何なのか。疑問はとめどなく湧いてくる。今はよく分からない喃語しか聞かれないが,こちらからの問いかけに対し,確実に何らかの意思表示を行っている。ごく単純な喜怒哀楽くらいは何となく分かるようになった。ただの親バカだが,どうやら「もの」に対する執着も強そうだ。とても面白い。

カルガモのヒナたち(2021.08.01 横十間川親水公園

今まさに,白紙のノート同然の脳に,さまざまな外的刺激がものすごい速度で書き込まれている。最初は記号ですらない,単なる混沌であったものが,いつの間にか何かしらの形をもち,そして,依然として判読不能ではあるものの少なくとも落書きと呼べる状態にまで進歩したような感じがある。さて,ここは重要な部分だと思うのだが,もともと何が書かれていたのか,時をさかのぼって見出すことは非常に難しい。また,過去に書かれたものが,現在目に見えているものにどう反映されているのか,因果関係を論理的に語ることも困難である。先日の某学会の特別講演で聞きかじっただけの話だが,どうやら脳には,忘却したと思っている記憶でも痕跡(エングラム)自体は残っており,将来的にそれが利用されるのだという。乳幼児期に経験したことなど,誰もがほとんど覚えているはずもない。しかしまさに今,数々のエングラムが刻み込まれているのかと思うと,急に身の引き締まる思いがしてくる。それを意識したからといって,何をどうすればよい,という話ではないのだが,本人にとっては毎日が劇的な瞬間の連続なのであり,私はその極めて貴重な時間に立ち会うことのできるごく少数の目撃者なのである。

混沌の中に秩序が生まれる(2012.02.29 にかほ市象潟町・小砂川)

やはり私は貪欲な人間なので,いわゆる成長の一部始終を見逃したくないという思いが強い。放っておいても育つ,という言説もしばしば聞かれるが,部分的には正しいとはいえ,全面的には賛同しかねる。このたかだか一年程度の経験の中でさえ感じることだが,各々の瞬間は,本当にあっという間に過ぎ去ってしまう。ついこの間までは当たり前だったことが,もちろん良い意味で,すぐに当たり前でなくなっていく。今この瞬間の知覚や思考の全体が刻一刻と変質し,やがては雲散霧消するという事実に,私は潜在的に強い恐怖感を抱いているのかもしれない。かつては見えていたはずものが分からなくなる,あるいは考えていたことを忘れてしまう。これは恐ろしいことだ。あれ,どこへ行きたかったのだろう,何を見たかったのだろう,何を食べたかったのだろう。しまいには,何をやりたかったのだろう。いつの間にかそんな状態に陥らないよう,カメラという現代の道具にすがりつき,時間の奔流に対するせめてもの抵抗として,日々写真を撮影している。そして,思い立ったときに重い腰を上げ,筆をとり,こうして取り留めのない駄文を書き連ねている。あらゆるエングラムを克明に記録したい,などというおこがましい望みはない。とにかく,今この時間を無為に過ごすのではなく,多少の思考とともに何とか記憶に留めておきたいという一心なのである。

線香花火(2012.08.11 佐渡

今年の夏はとても暑かった。これは,あまりの暑さにうなされ続けた末に漏れ出てきた,晩夏のうわごとである。ひょっとしたら遠い将来に活用されるエングラムになるかな,などと淡い期待を寄せながら,このあたりでいったん擱筆とする。