アドリア海沿岸諸国の旅路(1) ザグレブ(2019.10.19)

いわゆる新婚旅行である.2019年の休暇はクロアチアスロヴェニア,イタリアをめぐる壮大な旅行を計画した.鉄道移動を基本とし,公共交通を駆使しながら名都市および景勝地を回る.環アドリア海とでも言うべきか,この地域はヨーロッパの中でも前々から気になっていた一角だ.美しい海岸線や町並みがあまりにも有名だが,暗い歴史と多彩な文化が錯綜する複雑な空気感を,一異邦人として味わってみたいと思う.

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旧市街に佇む聖マルコ教会

2019.10.19

東京・羽田(HND) 0120(GMT +9) → Flughafen Wien(VIE) 0600(GMT +2)
NH 205

 

Flughafen Wien(VIE) 0650 → Međunarodna zračna luka Zagreb(ZAG)0740
NH 5629

 

ザグレブ観光
青果市場,聖マルコ教会,イェラチッチ広場,大聖堂など

 

ザグレブ
Hotel Meridijan16

日程をフル活用するべく,旅立ちは金曜の深夜,あるいは日付が変わった土曜の未明である.浮き立ちながら職場に別れを告げ,前日に造っておいた荷物を引きずって羽田へ.国際線ターミナルの「おぐ羅」というおでん屋で前夜祭を開く(まずくはなかったが,空港価格で割高感は否めず).それなりに酒を飲んだ後,1時過ぎに発つウィーン(Wien)行の夜行便に搭乗した.機内では泥のように眠り,着いた先はこれまた未明の空港.深い霧に包まれていた.ほとんどの乗客はEUの入国審査に並ぶのだが,我々はシェンゲン協定外のクロアチアへ飛ぶので,途中のエスカレーターから脇道へ逸れて次なる搭乗口へ向かった.オーストリア航空とのコードシェア便であるザグレブ(Zagreb)行のNH 5629便は50分の乗継で出航する.行程が上手くつながるか最も危惧していた部分だが,間に合って一安心.バスで沖合まで連れて行かれ,そこに待っていたのはDHC8-Q400.まさかのプロペラ機であった.また近くの滑走路を見ると羽田で預けた荷物がちょこんと置いてあり,今まさに積み込まれようとしている.lost baggageの心配もなくなり,プロペラ機も楽しむことができ,旅は上々のスタートである.

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未明の空港は深い霧の中.DHC8-Q400が薄紫色の払暁に羽ばたく
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やがて機体は降下を始め,朝陽に染まるザグレブ郊外の町が見えてきた

天候は快晴.ちょうど日の出の時分と重なり,離陸後すぐに朝焼けの空が窓外に広がった.薄紫から赤,赤から黄へ,短時間で刻々と変化する鮮やかな色彩に心を打たれる.プロペラ機ならではの低空飛行で,山地や集落をかなり近いところに見下ろすことができて面白い.丘には朝霧が立ち込めているようで,時おり幹線道路や小さな町々が姿を見せる.そして,1時間にも満たないフライトでザグレブに降り立った.東京→大阪くらいの距離感である.到着ロビーで両替後,接続するバスで空港を後にした.

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ザグレブのバスターミナル

ザグレブのバスターミナルの建物はどこか奇妙な造形であった.一見すると「モダンな」ようでもあるが,近づいてみれば意外と古い時代のものだと直感する.冷たい灰色のコンクリート,薄く黄ばんだ蛍光灯,一方では繁華街の雑居ビルのように各バス会社の看板が雑然と掲げられている区画もある.ふと,日本で言うところの「昭和の香り」に相当するものを嗅ぎ取れるような気もした(こちらでは何と呼ぶのが適切なのか分からないが).ところが大きな違いとして,温かい血が通った感じがほとんどない.冷たく,無機質である.思い出したが,卒業旅行のときにブラチスラヴァ(Bratislava)の駅で抱いた感覚に近い.ひと言で形容するなら,すべてが何となく「暗い」のである.

市内で3泊する宿は駅の近くではなく,このバスターミナルから徒歩でほど近い場所に確保しておいた.まだ朝の9時前である.まずは荷物を置いて,旧市街の散策に出かけるとしよう.

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青果市場の活況
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観光地として紹介されていたが,地元の人々が普段の買い物に訪れている
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色彩に溢れる朝

市内の移動にはトラムを利用する.停車場の近くには必ずたばこ屋があり,そこで切符を買うという方式.切符は打刻からの有効時間ごとに種類があるが,観光客は30分用のもので十分足りる.1枚4クーナ,60円くらいだから安いものだ.中央駅の前をかすめた後,緩い坂道を登って旧市街の中心地,イェラチッチ(Jelačić)広場に到着した.まずはガイドブックで紹介されていた青果市場へ足を運ぶ.多くの地元民が買い物に訪れており,なかなかの活況.面心立方格子状に積まれた果物は,柔らかい朝陽に照らされて色合いも鮮やかだ.夜行便で到着し,いきなり当地の日常の朝にぽいと放り込まれたことになる.旅の醍醐味である.

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政府機関が集まる聖マルコ教会周辺

併設された魚市場も軽く中を見て回った後,旧市街のさらに高台に位置する聖マルコ教会を目指す.この建築は屋根のカラータイルが有名で,向かって左にはクロアチアスラヴォニア(Slavonija),ダルマチア(Dalmacija)の紋章が,右にはザグレブの紋章が描かれている.レゴのような造形であり,文脈抜きに写りが良い.時おり団体観光客の群れが現れては去っていくが,基本的には静かな旧市街の路地である.坂道や高台を歩き回り,ザグレブ市街を軽く俯瞰する.どこの都市もたいていはそうだが,風情のある町並みは旧市街の一角に限定されており,その外郭には近代的な都会が広がっている(ローマ,フィレンツェ,パリなどは例外的といえる).このザグレブはというと,旧市街はかなりコンパクトにまとまっており,遠景に見下ろす街には灰色の建物が目についた.

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坂道を逍遥し,昼餉にありつく

さて,そろそろ昼時なので下調べしておいたStari Fijaker 900という店に入る.ザグレブ風カツレツと,グラーシュを注文.首都の位置するスラヴォニア地方は地理的にハンガリー平原と連続しており,歴史的にもやはりオーストリア=ハンガリー帝国とのつながりが強い.それは郷土料理にもよく表れており,去年ウィーンで食べたのとほとんど同じようなものがテーブルに並ぶ.肉,芋,パプリカ,ビールなどに象徴される料理はいずれも素朴な表情だが,美味しく頂いた.サービスも良く,また訪れたい店であった.

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イリツァ通りを走るトラムと,イェラチッチ広場

午後は高台を下り,イェラチッチ広場に向かってイリツァ(Ilica)通りを歩く.ここは「ミニ表参道」といった風情である.クロアチアはネクタイ発祥の地.せっかくの機会なので有名店のCROATAを訪れ,吟味の末に日常用とハレの日用の二本を購入した.店員の対応も親切で満足.その他,チョコレートや土産物などを物色し,良さそうなものを仕入れた.異国の旅先でそれなりの買い物を楽しむような時が来るとは,いやはや,自分も変わったものだ.ザグレブ大聖堂を訪れた後,北側へ少し歩いた場所にあるBornsteinという酒屋で,明日のドゥブロヴニク(Dubrovnik)に思いを馳せてダルマチア産のワインを2本手に入れた(Dingač,Pošip).

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陽も西へ傾いてきた頃,大聖堂へ.側廊の突き当たりにはグラゴール文字が見える

既に陽は西に傾いてきており,荷物も多くなってきたので宿へ戻ることにした.イェラチッチ広場からトラムでバスターミナルの近くまで戻る.中央駅から少しばかり離れると,古びたコンクリート建築が疎に点在するような街並みとなる.この殺伐そして荒涼たる空気感は華やかな旧市街とは実に対照的.最初に市内で降り立ったバスターミナルの建築もそうだったが,このどこか暗い空気感はやはり旧共産圏独特のものと思う.決して治安が悪そうというわけではない.しかし,とにかく「暗い」のだ.トラムの車両はほとんどが最新鋭だが,時おり恐ろしく古いものが混ざっており,この国がまだユーゴスラヴィアであった時代から黙々と働いているのだと思われた.古参の車両の方がこの街には似つかわしいが,一方で今どきの低床車もうまく景色に溶け込んでおり,今世紀にかけての時代の移り変わりを象徴しているかのようでもある.

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旧共産圏独特の暗い空気感

夕食はイェラチッチ広場近くの店を考えていたのだが,ひと休みということで部屋で横たわったが最後,いつの間にかとっくに日は暮れ,20時を回る時分となっていた.金曜はフルで働き,その深夜に出発する夜行便でこの地へ到着し,今日もほぼ一日動き回っていたわけだから,さすがに疲労が蓄積した.大学生の頃はぶっ通しの撮影行の中で夜行急行に2連泊(能登きたぐに)など平気で行っていたが,あれからもう10年も経つし,さすがに体が衰えてきたのかもしれない.悲しいことだが.明日も早朝からの壮大な行程が待っているので,もう寝ることにした.

 

アドリア海沿岸諸国の旅路(2) ドゥブロヴニク(2019.10.20)へ続く