アドリア海沿岸諸国の旅路(2) ドゥブロヴニク(2019.10.20)

恐ろしいことに,何と前回の記事から2か月以上が経ってしまった.本業による忙殺を言い訳にするのは簡単なのだが,忙殺への疑念とその忌避から始めたのがこのブログなのだから,初心に立ち返って努力を続けねばならないと思う.

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徐々に降下する飛行機の窓外に「真珠」が姿を現した

2019.10.20

Zagreb Main Bus Station 0600 → Zagreb Airport 0630

空港バス

 

Međunarodna zračna luka Zagreb(ZAG) 0725 → Zračna luka Dubrovnik(DBV) 0830

OU 384

 

Čilipi Airport [Dubrovnik Airport] 0900 → cable car station 0930

空港バス

 

ドゥブロヴニク観光

スルジ山展望台,旧市街,城壁,ロヴリイェナツ要塞など

 

cable car station 1945 → Čilipi Airport [Dubrovnik Airport] 2015

空港バス

 

Zračna luka Dubrovnik(DBV) 2115 → Međunarodna zračna luka Zagreb(ZAG) 2220

OU 301

 

Zagreb Airport 2230 → Zagreb Main Bus Station 2300

空港バス

 

ザグレブ

Hotel Meridijan16

地理的に離れていることから当初は旅程に組み込みにくいと考えていたドゥブロヴニク(Dubrovnik)だが,空路で往復すればザグレブからの日帰りも可能ということで,2日目に訪れることにした.4か月も前に航空券を予約したにもかかわらず,復路の便はすでに残り2席となっていて驚いた記憶がある.

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早暁の滑走路はすがすがしい

クロアチア航空のDHC8-Q400に乗り込み,ダルマチア(Dalmacija)の海岸をなぞりながら一路南下する.わずか1時間あまりの旅路.さすがは空路,かなり速い.陸路で移動する場合は相当に大変で,ザグレブからスプリト(Split)までの特急が6時間,そこからドゥブロヴニクまでのバスが5時間.この国はとくに南部の方面ほど鉄道網が貧弱なので,絶景道路を走りながらアドリア海沿岸の町々を気ままに巡るレンタカーの旅が最適なのかもしれない.しかし,残念ながらそれは日程上難しい.

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崖下にへばりつくように展開するドゥブロヴニクの町

機体は徐々に高度を下げていく.日が昇ってまだ間もない.群青の海,入り組んだ海岸線,迫り来る山脈.左側の席を取ったのだが,予想通り,やがて窓外にはドゥブロヴニクの町が現れた.アドリア海の真珠と称えられる城塞都市が,眼下で朝日に煌いている.市街はスルジ(Srđ)山の麓にへばりつくように展開しており,さらに向こう側の山並みは,もう国境を越えたボスニア・ヘルツェゴヴィナの異邦である.すでに着陸態勢に入っていたと思われるが,身を乗り出してシャッターを切り続けた.空から俯瞰するという,劇的な初対面.町はあっという間に目の前を過ぎ去っていった.

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空港バスで市街へ.カーブを切るごとに町が近づいてくる

空港からは飛行機の到着に合わせて連絡するバスがあるので,これを利用して市街まで向かう.バスは崖上の入り組んだ道を走る.いわゆる絶景道路.入り江ごとに何度もカーブを曲がってゆくと,ドゥブロヴニクの町が徐々に近づいてくる.要塞のようにアドリア海に突出した旧市街はやはりひと際目を引く美しさ.この高揚感たるや.

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ドゥブロヴニクの朝
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ビーチには,まばらな人影

ケーブルカーの駅のところでバスを降りる.このままスルジ山へ直行しても良かったのだが,せっかくの快晴なので事前に調べておいた坂道で順光の町を一望.手前には小さなビーチが広がり,遠景には城壁に囲まれた旧市街が鎮座する.海は本当に美しく,この辺りの沿海地方の魅力が凝縮されたような景観だ.

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スルジ山へ登る

その後,ケーブルカーで山頂へ登る(九十九折の登山道もあるのだが,そこまで攻め込んだ旅行ではない,というか新婚旅行なので無難な道を選ぶ).スルジ山はドゥブロヴニクの背後に控える412mの山で,その頂上からは海に突き出た美しい旧市街が一望のもとである.既に太陽はかなり南側へ回り込んでおり,光線状態はトップライトに近い.オレンジ色の屋根が所狭しと密集する様は,色彩としても造形としても新鮮.また港には色々な船が出入りしており,その様子がまるでミニチュアのようで,いつまで眺めていても飽きない.

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山頂からの絶景
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本邦では見ることのない色彩.港には大小さまざまの船が出入りしている

どこから何を眺めてもとにかく絶景なのだが,そんな山頂の片隅には古びた要塞のような建物がある.内部は紛争博物館となっており,1991年の内戦について事細かに資料が展示されている.観光客の姿はほぼない.この旅に出るにあたり,実は『ユーゴスラヴィア現代史』という本を読んで予習を行っていた.しかし,バルカン諸民族の背景と,陸続きの国境線とが複雑に交錯する歴史を理解するのは,素人にはなかなか容易ではなかった.多民族が寄り集まるこの一帯には数々の血塗られた歴史がある.なかでも,クロアチアセルビアの因縁は非常に深く,古くからバルカン半島には怨念が渦巻いている.セルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国崩壊後の,ファシズム政党ウスタシャの台頭とセルビア人虐殺は,とりわけ歴史の暗部である.第二次大戦後は(第二の)ユーゴスラヴィア連邦としていったんはひとつに収まるものの,1990年代初頭のその解体に際しては,セルビアとの間で紛争が泥沼化した(自分が生まれた後の出来事というのが驚きである).そしてこのスルジ山をはじめ,ドゥブロヴニクはまさにその激戦地のひとつであった.両国は,方言程度の差異しかないほぼ共通の言語を持ちながらも,クロアチアラテン文字セルビアキリル文字を使う.民族,宗教,文化が複雑に入り混じりながらも,双方のニュアンスをくみ取ることは大変難しく,まして部外者が不用意なコメントを行うわけにもいかない.博物館の外へ出ると,海はどこまでも青く,反対側の遠景には荒涼とした異邦の山並みが連なっているのだった.

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改めて眺めると,この海は美しくも悲愴な感じがしてくる

山頂にあるPanoramaというレストランのテラス席を11時から予約していた.ここでは,予想をはるかに上回るすばらしい席へ通して頂いた.この景色を見ながら,酒を飲む.何という至福だろう,筆舌尽くしがたい.ようやく,4月から続く鬱屈とした日常から解放された感がある.さらに,魚介を中心とした料理が非常に美味しい.観光地にありがちな,景色こそ良いが味は普通,値段は高いといったレストランとは一線を画している.吹き抜ける海風は爽快で,いつまでもここで海景を眺めながらぼーっとしていたくなる.

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こんな美味いビール,いつ以来だろう

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眺望もさることながら,料理もすばらしい

食後は山を下り,旧市街へと入ってゆく.迷路のような路地をさまようだけで楽しい.メインストリートはプラッツァ(Placa)通りで,夏のシーズンは終わったはずだが多くの観光客で賑わっている.町を囲む城壁に登り,歩いてみることにした.

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生活感のある路地
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ピレ門近くの広場より

10月も下旬だが,予想以上に暑い.雲ひとつない快晴で,日差しが容赦なく照り付ける.高く築かれた城壁からは,旧市街の赤い屋根の群れを見下ろせる.アップダウンに富んだ石畳を歩き,海側へと歩みを進めた.途中でジュース休憩を挟みつつ,町並みや海を撮り続ける.かなりの高さがあるので開放感は大きい.また,すぐそばには住人の生活が垣間見える.庭で作業をする人々や,石造りの壁を彩る洗濯物などなど.

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近くから眺める屋根もまた面白い
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海側の城壁は崖の上に造られている.俯瞰撮影とはまた異なる開放感
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船を漕いだり,小さな海水浴場で寝そべったり
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山麓に息づく生活

この街には中世のラグーサ共和国からの長い歴史があり,往時は海洋交易で隆盛を極めていた.現代でこそクロアチアの一部となっているが,ラテン文化の影響を多分に受けており,旧市街の表情は首都ザグレブとは全く異なっている.もっとも,ダルマチア沿海地方は全般にそういう特徴があるようだ.そして地図を眺めていて気が付いたのだが,このドゥブロヴニクを含むダルマチアの最南端地域は,実はクロアチアの飛び地となっている.海岸線を少しばかり北へ追っていくと,わずか数キロの区間だけ,ネウム(Neum)なるボスニア・ヘルツェゴヴィナの町が間に挟まっていることが分かる.同国がアドリア海に顔を覗かせる唯一の場所なのだが,対岸の半島も,海岸線の両脇もクロアチア領という不思議な地理である.これも調べてみると結構面白く,かつてヴェネツィアオスマン帝国の間の緩衝地帯として設けられた国境線が300年以上にわたって継承されたものであり,巨大な争いにラグーサが巻き込まれるのを回避していたと言われる.海外旅行に来て面白く感じるもののひとつは,「国境線」という普段認識することのない概念である.

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城壁を下りると,路地は意外にも暗い

本来なら城壁を一周する予定だったのだが,写真を撮りすぎたせいか,結構時間が経ってしまった.ハイライトはひと通り見たと思われたので,山側の城壁まで回るのは省略し,旧港の近くで周回路を下りることにした.あんなに燦々と降り注いでいた日差しだが,石畳の路地には届かない.各建物はそれなりの高さがあり,その狭間の暗がりに迷路のような道が錯綜しているのだった.

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旧港の風景

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メインストリート,プラッツァ通り

ドゥブロヴニクの大規模な港湾機能は西隣のグルージュ(Gruž)地区に移っている.旧市街には昔の港が残っており,近くの島へ渡る船や,遊覧船,小規模なクルーザーなどがちまちまと発着していた.プラッツァ通りを逍遥した後,フランシスコ会修道院の回廊を訪れた.クロアチア最古の薬局も近くにあるのだが,この日は閉まっていた.

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回廊に佇む

こういう建築は徹底的に対称性を追求した撮り方をするのも良いが,少しばかり対称性を崩してみるとまた新たな美しさが見えてくる(上段右側).ザルツブルクの旅行記でも言及したところの,典型的な「線の芸術」に属するものといえる.「線で知覚する」自分の撮影様式との親和性は,やはり高いように思う.

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要塞からの夕景

夕刻は,入り江を挟んだ西側の対岸にあるロヴリイェナツ(Lovrijenac)要塞に登った.眼前には夕陽に染め上げられた旧市街がアドリア海に浮かぶ.険しい崖の上を這うように造られた城壁の姿もよく分かる.左手にはスルジ山の稜線と,荒涼とした山肌が広がる.何度眺めても,文脈抜きに美しい風景である.

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舌鼓を打ちながら一日を振り返る

日帰りの行程なので,夕食は少し早めにとることにした.予約しておいたProtoというレストランに入る.当地の高級老舗と称されるだけあり,魚介の料理はどれも非常に上質で美味であった.とりわけ,Fisherman's soupが印象に残っている.内陸のザグレブとは完全に食文化圏が異なり,全体としてイタリア料理に近い.日本人にとってはこちらの方が親しみやすいだろう.合わせて飲んだダルマチアの白ワインは果実味に溢れていながらも爽快.Pošipというクロアチア土着のブドウであった.ワイナリーはKorta Katarina.まさに,先ほど言及したネウムの対岸の半島で造られている酒であった.刺身を食べながら日本酒を飲むのと同じように,同じ土地で獲れた海鮮と醸された酒とが,合わないはずがない.

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夜の旧市街

大満足のうちに食事を終えると,外はすっかり夜になっている.名残惜しいが,そろそろ帰路につかねばならない.初の訪問であるし,広い範囲を歩き回ったわけではないので一概には言えないが,有名観光地として俗化しすぎている印象はあまりなかった.むしろ,絶対的に美しい景観と,沿海地方特有の歴史や文化とが重層的に共鳴しており,表面上の簡単な観光だけで済むような場所ではなかった.さらに興味深いのは近現代以降のユーゴスラヴィアの歴史であり,もっと深く理解していれば旅の味わいがより豊かになるのだろうと思った.近隣諸国も含め,この一帯はいつか再訪してみたい.ザグレブへ向かって高度を上げていくプロペラ機の窓から,宵闇に浮かぶ旧市街の灯りが一瞬だけ見えた.

 

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