開設にあたって

485系特急雷鳥

銀世界に雷鳥が舞う(2010.02.20 北陸本線 敦賀新疋田

なぜ,ブログなのか.実は,中学2年より大学卒業に至るまで,学業や部活動にまつわる日常の記録や,休日や休暇に出かけた旅行ごとの紀行文などを綴るブログ(というよりは日記)を某所で開設していた.それは今なお残っており,記事の総数は3600本あまり.高校卒業までは日付を遡ってでも毎日分を欠かさず書いていたのだから,その執念には我ながら驚く.ところが,いわゆる社会人になってからというもの,日常に忙殺されてしまい(いつの間にかそれを都合の良い言い訳にして),「書く」という作業をやめてしまっていた.傍ら,慌ただしい日常は立ち止まることなど知らず淡々と回転し,本業の訓練を日々受ける身として徐々に知識は豊かになり,そして技術は磨かれてきた(はずだ,と自分では思い込んでいる).その一方で,往時に比べるといかに自らの思考や思索が貧困になったか,表現力や創造力が乏しくなったか,さらには世界が狭くなったかを,ふとした瞬間に思い知ることが実に多くなった.とくに,今や遺産とも呼ぶべき過去の記事を読み返してみると,同じ人間が幼若ながらもここまでのことを考えていたのかと,それに引きかえ今の自分はただ日常を暮らすのみで,具体的に何を考え,何を表現しているのかと,いかにも情けない気分になっていた.大学卒業以降は,絵日記のような写真紀行をFacebookに綴ることがかなり多くなった.今思えば,それは,「書く」のをやめたことに対するせめてもの贖罪の意識からなのかもしれない.しかし,写真を整理する場としての使い勝手には優れていたものの,やはりSNSというのは本来的には表現の場ではなかった.したがって,かつての日記帳の文体を踏襲しつつも,かといって堅苦しすぎない体裁で,より充実した写真と文章をもって何かしらの表現を試みる場が必要と感じたのである.

特急北斗星

長大編成が早暁の斜光線に浮かび上がった(2015.06.21 津軽線 瀬辺地蟹田

なぜ,今なのか.もっと時間が有り余るようになってから,好きなことを好きにやれば良い,という考えもあるかもしれない.しかし,そんなことが本当に可能なのか.往時の若く豊かな思考,そして表現は,今どこへ行ってしまったのだろう.このわずか数年の間をおくだけで,過去の産物は良い意味で変質し,あたかもウイスキーのごとく熟成してきている.それは,今にも忘れかけていた,懐かしく深遠な味わいである.ところが,何十年の時を経ていざ過去を振り返ってみるとき,果たして同じような味覚がまだ備わっている自信はあるだろうか.もしや,味覚自体を喪失しているのではなかろうか(最も恐れるべきことである).そこで,題材の一貫性や継続性などはさておき,たとえ少量でも思考や表現の産物を残していく場を,何かしらの形で20歳代のうちに作っておかねばならないという焦燥感が静かに募ってきたのである(旧友とのたび重なる対話に大きな影響を受けた経緯もある).現段階での試みとして,どれくらい時間がかかるのかは定かではないが,

① 過去の紀行文の再編集
② 写真を中心とした新たな紀行文
③ 本業にまつわる雑記

に順番に取り組んでいきたいと考えている.①は一見単なる懐古なのだが,自分の思考の歴史を紐解き,考察すること自体が大きな意義をもつと感じている(そもそも,最近は考えるということ自体を行っていなかったのだから).②は新たな取り組みで,大半が叙事的であったかつての古典的な紀行文に,叙景的な彩りを添えようとするものである.方法論としてはSNS上の絵日記と似通ってはいるが,ブログならではの表現を模索してみたい.

218型重連牽引ユーロシティ

EC 191列車,終着ミュンヘンまでラストスパート(2018.09.27 Puchheim~Aubing)

最後に,なぜ,「手術室の窓辺」なのか.③とも大いに関連する問いである.ここで,かつての紀行文(2013年3月5日付)の一節を引用してみよう.

感覚の幅広さや質、また思考の深さなどといったものは、結局、持っている語彙に支配されるのではないか、といつも思う。「ことば」とは外界を覗くための窓であって、窓がどれほど広いか、どれほど澄んでいるかは、人によってだいぶ異なるわけだ。「ことば」のもつ力は絶大である。そしてこうして旅行記を書いているのは、「ことば」を模索するための試行錯誤でもある。

いきなり具体的な本業の話となるが,経験した限り,実は窓のある手術室というのは非常に珍しい.空調管理の面で不利になるためと聞いたこともあるのだが,それは良いとして,とにかく普段の仕事場である手術室という場所は厳粛かつ神聖でありながら,容易に閉鎖性の象徴ともなりうる.本業の忙しさを言い訳にして「書く」ことをやめ,「ことば」という名の窓を失った結果,先に述べたように思考や思索が貧困になり,表現力や創造力が乏しくなった.そしてその様子が,(いつも見慣れた)窓のない手術室の光景と妙に共鳴しているような印象をふと抱いてしまった.本ブログのタイトルは,外界を覗く広い窓を手術室に開けて,本業の傍ら,新たな思考そして表現の場を切り拓かんとする挑戦の意思を暗示したものである.なお誤解を招かないよう予めことわっておくが,もちろん今の自分は本業を天職と思っているし,まして本業を貶めているわけではない.そもそも手術とは精緻な思考や戦略があってこそのものであり,また極めて創造的な側面も併せ持っている(達人の行う手術などは,もはや芸術の域といってよい).ただ,自らがあまりに未熟なため,その醍醐味を語るには十年も二十年も早いというだけのことなのだ.

以上,果たして続くのかは分からないが,初心を書き留めておいた.