北の鉄路(4) 越境(2015.06.21)

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トリトンブルーの帯を纏う

2015.06.21

青森(AOJ) 1450 → 札幌・新千歳(CTS) 1540

全日本空輸1899便(NH 1899)

 

撮影: 

上り北斗星(沼ノ端~植苗)

 

苫小牧泊

スマイルホテル苫小牧

重い腰を上げ,本シリーズの後半に取りかかる.前回の記事「極致」を書いてから,もう2か月以上が過ぎてしまった.もっと気軽に書き散らせばよいのだが,どうも毎回妙に構えてしまう.今年は9月に入ったとたん急に秋めいてきて,頬に触れる冷ややかな空気が寂寥感を無性にかき立てる.日没の時刻は,正弦曲線のいちばん急な部分を転がり落ちるようにぐいぐい早まっていく.ああ,この暑かった夏はいったい何をやっていたのだろう.診療,雑務,画像解析,論文執筆,試験勉強.だいたいそんなところか.顧みれば別に何もやっていなかったというわけではない.しかし「コロナ禍」も一年半あまりが経過した今や,知らず知らずのうちに感性が劣化し,精神性が低下してしまったのは紛れもない事実である.そんな鬱屈に耐えかね,同じく「手術室の窓辺」という名前で7月からTwitterに出張所を開設したのだった.過去の写真を掘り起こし,一部については多少手を加えて蘇らせ,往時を振り返りながらキャプションを添えていく作業にはささやかな楽しみを感じている.また,英文を発信するという奇妙な試みも練習を兼ねて続けている.多くの反応や共感はいまだ得られなくとも,いつの日か,何かしらの発展があることを信じて,最低限の表現の場としては地道に続けていきたいところだ.だが,あそこはあくまで出張所であり,本来はこの窓辺を充実させるのが自主的な急務である.先代の日記帳からは漏れてしまった旅の記憶を,ひとまず回収しなければならない.

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初めてのプロペラ機

この日,津軽線奥羽本線での充実した撮影を終え,午後は北海道へ飛んだ.青森空港でレンタカーを返却した.行程上は航空ダイヤが絶妙にかみ合い,まさにパズルのピースがぴったりとはまった感じであった.滑走路で待ち受けていたのは,ボンバルディアDHC8-Q400.この界隈では「ボンQ」と呼ばれている有名なプロペラ機である.物心ついてからはジェット機の記憶ばかりで,プロペラ機の小柄な出で立ちや独特の外観には実に興味をそそられた.滑走路やタラップでひとり熱心に写真を撮っていたが,ほかの乗客らの身のこなしときたら慣れたもので,観光や遊びで乗っている人はほとんどいないように見受けられた.

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左に津軽半島,手前に下北半島,奥に渡島半島

バリバリバリ・・・というプロペラ音が一気に甲高くなると,急加速とともに疾走する機体がふわりと空に舞い上がった.滑走距離はジェット機よりも明らかに短い.巡航高度も予想していたより断然低く,眼下の海や陸をかなり近くに感じる.せいぜい5000メートルくらいだろうか.飛び立って間もなく,ちょうど下北半島の上空にさしかかった.注意深く海岸線を観察すると,小さな集落が一定の間隔でへばりついているのが分かる.目を凝らせば,家の一軒一軒も肉眼で解像できるのではないかという距離感だ.素人くさい感想だが「飛んでいる」感じがあってとても楽しい.

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陸奥湾に臨む脇野沢の集落(左)と,本州最北の人造湖,かわうち湖(右)

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津軽半島の北端部.手前が高野崎,奥が龍飛崎.挟まれた入り江が今別である

左奥の遠景に目をやると,津軽半島が堂々と横たわっている.思えば今朝は3時過ぎに起き,夜の明けぬうちに青森市街を離れ,満を持して下り北斗星を迎えるべく,陸奥湾に面したあの海岸線に沿って延々と車を走らせていたのだ.また半島の先端には二つの岬にかかる弦のごとく緩やかな入り江が広がっているのが見て取れるが,その入り江こそ,やはり午前中に津軽線の列車をのんびりと撮影した今別の町なのであった.何と感慨深い.天候が幸いしたことも大きいが,つい先刻に訪れた土地を,こうしてリアルに上空から俯瞰する経験は初めてのことだ.

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やがて下北半島の最北端,大間の町を通り過ぎ,本州に別れを告げる

近頃はずいぶんと便利になったもので,Google mapの航空写真やストリートビューを駆使すれば,旅の予習や疑似体験はさほど難しくはない時代である.しかし地図上では見慣れたつもりの青森県北部や津軽海峡周辺の地形が,低空飛行の機窓を通していざ眼前に展開したとき,その景色からは何か強烈に訴えかけてくるものを感じた.見知らぬ外国であれば単純にスペクタクル的な面白さが先行するところだが(一昨年,ドゥブロヴニクへと降下する空路がまさにそれであった),何度も訪れたことのある土地では重みが違う.眠っていた記憶が一気に呼び覚まされて,目の前の視覚情報と急速な化学反応を引き起こすかのようだ.黄昏の龍飛崎,階段国道灯台にともった黄色い光.あの夜は津軽今別までタクシーで戻り,海峡線の特急列車で青森へ引き返した.今からは10年以上前のこと.そういえば駅前の食堂,もう閉店してしまったらしい.北斗星はまなすに揺られ,青函トンネルは幾度となく通過した.うだる暑さの夏にも,雪に閉ざされた冬にも.夜行フェリーで海峡を渡ったこともあったなあ.長きにわたって旅や鉄道撮影を行っていると,出身地やゆかりの地というわけではものの,こういう思い出深い土地はいくつか出てくるといってよい.またいつの日か,同じような旅情を空路で経験してみたいものだ.

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渡島半島が現れる.海峡に突き出た函館山の小さな影(左).眼下には恵山(右)

飛行機は速い.あっという間に海峡を渡り,遠く左手に函館山と思しき山影を見ながら,北へ北へと空を泳ぐ.半島の東側には火山である恵山(えさん)があり,まさにその直上を通過しようとするところであった(ちなみに翌日,持て余した時間でこの山を訪れることになる).海峡は快晴であったが,道内に入ると急に雲が多くなってきた.

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駒ヶ岳(左)と,遠景の羊蹄山(右)

駒ヶ岳の特徴的な山容が見えてきた.普段であれば函館本線の車窓から眺めているところだ.さらにしばらく飛ぶと,遠景には蝦夷富士,羊蹄山のシルエットを小さいながらも拝むことができた.景色の変化が実に動的であり,機内では結局休む間もなく,ほとんどの時間をカメラを手にして過ごすことになった.とくに予習していたわけではないのだが,左手窓側の席で大正解であったと思う.近くに斜向かいで座る客室乗務員の眼差しはいささか冷淡で,「たまにそういう人乗ってくるよね」という感じであった.

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新千歳に向けて徐々に降下してゆく

青森を飛び立ってから,わずか50分.厚い雲を切りながら高度を下げると,北海道らしいパッチワークの穀倉地帯が展開した.程なくして新千歳空港に着陸である.鉄道であれば半日がかりの距離だが,やはり全体を通じて陸地との距離感が近かったためか,ワープ感覚はさほど強くない.さて,未明から始まる今日の撮影はとことん貪欲に攻めるスタイルだ.予約していた駅レンタカーを手際よく借りて向かったのは,空港から20kmほど離れた沼ノ端~植苗のカーブ.時間がぎりぎりであったが,何とか上り北斗星の姿をとらえることができた.しかしそこまで優れた撮影地かと問われると答えは否だし(空港からのアクセスという一点に尽きる),いつの間にか広がった陰鬱な曇天も相まって,ただ撮っただけという写真になった.午前中の華々しい成果や昼下がりの充実した空路に比べたら,まあオマケ程度のものである.

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空港を離れて1時間と経たないうちに,北斗星をとらえた(2015.06.21 沼ノ端~植苗)
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後ろ姿を見届けた後,苫小牧に泊まった

今宵の宿は苫小牧に取っておいた.スマイルホテル苫小牧という普通のビジネスホテルだが,特徴がなさすぎて記憶にない.夜は近くの飲み屋でささやかな晩酌.ザンギと刺身を味わった.連日3時台から活動して疲労が蓄積しているためか,酒の回るのが妙に早い.23時過ぎに発車するはまなすの撮影はさすがに諦めて,早めに寝ることにした.

 

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