北の鉄路(3) 極致(2015.06.21)

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特急北斗星(2015.06.21 瀬辺地蟹田

4時37分,陸奥湾は快晴.真紅のED79が青い客車の群れを従えて,生まれたばかりの赤い陽光に鮮やかに浮かび上がった.乗客は,列車内は,どんな朝を迎えているのだろう.目を覚まして見知らぬ車窓に見入る者,あるいは轍の響きに包まれてまだ夢の中を泳ぐ者.燦然と朝日が降り注ぐ通路を洗面所へ歩く者,あるいは既にロビーカーに陣取って青函トンネルを待ちわびる者.食堂車は,まだ暗く静まり返っているだろうか.しかし列車がゾーン539をくぐりぬけて北の大地を颯爽と駆ける頃には,きっともう陽は高く昇り,窓外に映える大沼や駒ヶ岳が賑やかな朝食のひと時を彩ることだろう.

2015.06.21

津軽線撮影:

下り北斗星瀬辺地蟹田

上りはまなす蟹田~中小国)

上り普通,下り普通,上り普通(津軽浜名三厩

 

奥羽本線撮影: 

わくわくドリーム号(白沢~陣場

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夜明けの海

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先行する2051列車は,まだ柔らかい日差しの中をゆく(2015.06.21 瀬辺地蟹田

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疾走する北斗星,大迫力だ!(2015.06.21 瀬辺地蟹田

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すがすがしい朝を去りゆく(2015.06.21 瀬辺地蟹田

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海峡へ消える(2015.06.21 瀬辺地蟹田

感無量である.これだ,これを撮りに来たのだ.早朝の晴れた津軽線北斗星を仕留めるのは長年の悲願であった.3時過ぎに起床して車を走らせてきた甲斐があった.まさに,深く記憶に刻まれる撮影経験であった.一眼レフカメラの光学ファインダーを通して同じ朝日に包まれていると,最奥のカーブからED79がひょいと現れ,機関車がストレートに入るや否や2灯のヘッドライトと確かに「目が合った」.そして客車が続々と連なってくるさまが視界に入ったと思ったら,見る見るうちに列車が眼前まで迫ってきたのであった.さすがに心が震えてしまった.この日,この瞬間,掲載した一連の写真と同じ光景を,私は間違いなく「見た」のだ.

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撮影地を移動して,上り列車を待つ(2015.06.21 蟹田~中小国)

時代は変わった.見ての通り,ミラーレス一眼がカメラ界を席巻している.撮像素子や映像エンジンの進歩も目覚ましく,この当時には想像もつかないような「きれいな」写真が容易に量産されるようになった.13年目に入っても今なお活躍する愛機EOS 50Dをついに家に置いて,たとえばR5のようなフルサイズミラーレス機を片手に出かける日はそう遠くないのかもしれない.だが,ミラーレスでは果たして「見えている」のだろうか.見ているつもりで眺めているのは,モニターが映し出す幻影なのではないか.もっと踏み込むと,本当に「撮っている」のだろうか.だって,シャッターを切る前からもう画面に映っているじゃないか.そういった疑問が,最近になって急に浮かんでくるようになった.

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急行はまなす(2015.06.21 蟹田~中小国)

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若い稲,抜ける青空,そして赤い機関車に,青い客車(2015.06.21 蟹田~中小国)

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青森までラストスパートだ(2015.06.21 蟹田~中小国)

急行はまなすが通過した.朝日の反照に,14系客車の鋼鉄の質感が際立つ.いわゆる「ギラリ」である.こういう眩しい写真を撮るときは,実際にも眩しいのだ.レンズ,ミラー,ペンタプリズム,さらには水晶体,硝子体を経て,同じ光線が網膜に結像しているからだ.そして視路,果ては大脳皮質の視覚中枢を経て処理された情報に極限まで近づけるよう,それをカメラとレンズが話す言葉へと正確に翻訳したうえでシャッターを切るわけである.「見る」そして「撮る」とはそういうことではないか.しかし,露出をリアルタイムで調整し,モニターをちょっと触るだけでピントを合わせ,すでにそこにある映像をキャプチャするだけの作業を,心から楽しいと思えるようになるのかは大いなる疑問である.

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続々と蟹田川を渡る(2021.06.21 蟹田~中小国)

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緑の中に消えていった(2021.06.21 蟹田~中小国)

ところが慣れてしまえば,次々とできあがる圧倒的に美しいプロダクトを前に,案外楽しくなってくる可能性は高い.それも撮影の一種だと割り切ればよい話で,素地となる腕前があれば鬼に金棒である.先日に店頭で少し触ってみたR5など,もはや化け物のようなマシーンだ.作風なるものがあるとすれば,それがさらに高次に発展する可能性さえ秘めている.光線や空気感の共有という情緒的なことにいつまでも拘泥するような時代ではないのかもしれない.しかし極論にはなるが,やはりミラーレスの場合は人が撮るのではなく,カメラが撮るのだ.カメラが撮ったものを,自分好みに取捨選択し,切り取り,体裁よく整える作業なのだ.現在の葛藤の根源はそこにあるといってよい.

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海峡に臨む小さな漁港,浜名(2015.06.21 津軽浜名三厩

小さな漁村を横目に,キハ40がのんびりと走る.本日は休漁なのか,それとも夜明け前に漁を終えてきたのか,何艘もの船が身を休めている.6年前,この景色を確かに「見た」し,そしてファインダーごしの同じものを「撮った」.世間の動向を観察するに,かかる葛藤とは無縁の者が多いのではないかと感じる.もちろん,美しい写真を追求するのは当然にして共通の目標である.だが,人間として知覚する,考える,組み立てる,操作するという一連の過程,つまり創造する過程を,いつの間にか忘れてしまうのではないかという得体の知れない恐怖感は,まだ十分には払拭されていない.

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津軽海峡の穏やかな朝

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漁船が一隻

フィルムカメラを長く使い込んだ世代も,デジタル一眼レフの黎明期には同様の葛藤を抱えたのではなかろうか.そんなもん写真じゃない,ネガを現像してこそ写真だ,という意見も当初は根強かったものと推察する.確かに,鑑賞という点からすると現代は画面上で作品を見る機会が大半である.ミラーレスはモニターがどうだの,カメラが撮るだの,これまで偉そうに述懐してきたわけだが,結局はほとんどのプロダクトをこうして電子媒体を通して眺めているという現状があり,ポジ,すなわち印画された写真を直視するというプロセスからは遠くかけ離れてしまったともいえる.カメラを触り始めた頃にはすでにデジタルの時代が到来していた我々のような世代には,真の意味で「見た」とか「撮った」などを議論する能力はないのかもしれない.

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日曜の朝,単行列車が軽快に駆け抜けてゆく(2015.06.21 津軽浜名三厩

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飾らない日常(2015.06.21 津軽浜名三厩

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もっと構図を工夫すべきであったと悔やまれる(2015.06.21 津軽浜名三厩

五能線と時を同じくして,津軽線のキハ40系列も姿を消した.この写真を撮った日からちょうど6年.浜名の漁港を訪れることはおそらくもうないと思うが,閑寂な日常は当時と変わっていないだろうか.ところが海峡は様変わりして,今や北海道新幹線が海底をせわしなく往来している.それほどの月日が経った.今は単に時代の過渡期に立たされているだけであり,論じてきたミラーレスの問題は長い目で見ればことさらに騒ぎ立てるほどの内容ではない可能性が高い.30歳も折り返しを過ぎた.つまるところ,旧時代の終焉と新時代の幕開けの双方を眺めるほどには十分長く生きた,年を取ったのだ.そのことにようやく気が付いたのである.

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碇ヶ関まで東北道を飛ばし,通称シラジンを訪ねた(2015.06.21 白沢~陣場

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短編成の特急列車(2015.06.21 白沢~陣場

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金太郎にはあまりに役不足の積荷(2015.06.21 白沢~陣場

EOS 50Dを迎え入れたのは大学一年の夏,2009年8月13日であった.当時の記録を読み返すと,Nikon D300との間で迷った末に手に入れたらしい.Nikonワールドに足を踏み入れていたらどうなっていたのかはともかく,見える世界がすぐさま広がった感動は今でもよく覚えている.そして全国各地はもちろんのこと,海外への旅にも幾度となくこのカメラを連れ出し,まさに感覚器の一部として何万枚もシャッターを切った.先日,大枚をはたいて2本のレンズを新調した.EF 24-70 F2.8L II USM,そしてEF 70-200 F4L IS II USMである.18-200のキットレンズで永らく撮影していたのがむしろ驚きなのだが(それでも説得力のあるプロダクトは作れる),再び世界が広がったことになる.

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奥羽路を駆ける583系(2015.06.21 白沢~陣場

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山間を彩る月光色(2015.06.21 白沢~陣場

大好きだった583系電車も,今となっては過去のもの.波動輸送の列車といえど,特急列車さながら本線を勇ましく走行する姿をこの頃にはまだぎりぎり拝めたのであった.だが時の流れには逆らえない.いつかはミラーレス機を手にするにしても,50Dはまだしばらくは使い込んでいきたいと思う.この2015年6月21日の撮影というのは,いわば古いレンズでたどり着いた極致であった.しかし大学を卒業して以降,写真撮影に出かける機会が激減した.言い訳にしてはいけないが,本業との兼ね合いでどうにもならない部分があった.6年の歳月を経て,今度は新しいレンズを通して澄み渡った外界を眺めつつ,失われた時間を取り戻すとともに新たな境地を模索していきたいと思う.

 

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