北の鉄路(1) 序幕(2015.06.19, 20)

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淡い朝,津軽線をゆく(2015.06.20 蟹田~中小国)

2015.06.19

東京・羽田(HND) 1940 → 青森(AOJ) 2055

日本航空151便(JL 151)

 

撮影:

上り北斗星(青森)

 

青森泊

東横イン青森駅正面口

 

2015.06.20

撮影:

下りカシオペア蟹田~中小国)

上りはまなす油川津軽宮田

かれこれ6年も前になるのだが,2015年といえば,医学部を卒業して臨床研修を開始した年である.いわゆる社会人以降,日記をつける習慣がいつの間にか失われてしまったわけだが,未だ記録に残せていない往時の旅を取り戻すべく,こうして思い立ったときに時間を見つけては試行錯誤を重ねている.思い返すと,休日なるものに対する感覚が変質したのもこの頃である.壮大なテーマなので旅行記とは別のところでいずれ論じたいと思うが,とにかく「休日は仕事をせず休む」という当然の常識が覆され,文化的または創造的な身体活動もしくは精神活動に費やす時間が圧倒的に減少した時期であった.そんな中,確実に休日を確保できるという前情報があったローテート診療科(麻酔科)を6月に持ってくることにした(いつ,どの診療科を回るのかは,必修要件さえ満たせば個々の裁量に委ねられていた).さらに2日間の有給休暇も(比較的気軽に)取得して,金曜夜から火曜夜までをフル活用する,撮影特化型の単独旅行を計画した.夏至を迎えるこの季節,東日本の日の出は4時台にまで早まる.北海道へ渡るブルートレインの群れを,どうしても津軽線内で仕留めたかったのだ.

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夜更け,海峡をくぐった北斗星がひっそりと入線(2015.06.19 青森)

北斗星という列車には特別な思い入れがある.小学校4年(10歳)のとき,学校の図書室にあった乗りもの図鑑だか,JR各社別で分冊になったややマニア向けの書籍だかを手にしたのが,今なお細々と続く鉄道趣味の端緒だったと確かに記憶している.当時は(いや今もだが),読書とはおよそ無縁の少年であった.青い鳥文庫の名作文学みたいなものは大嫌いで,長い物語を読むことができず,文章的な読解はできるが面白さをまったく理解できなかった(読書感想文なんて苦痛の最たるもので,賞を取るような立派な作文をしたためる女子児童の頭の中はどうなっているのだろうと思っていた).しかし鉄道関連の書籍は無限に読み漁ることができ,車両形式や路線名などあらゆる知識が指数関数的に増えていった.その中でもひときわ輝いて見えたのが,どういうわけだろう,北斗星なのであった.赤い機関車が青い客車の群れを牽引するという鮮烈な外見や,青函トンネルをくぐって1000km以上も離れた地へ向かう壮大な行路とか,それまで知らなかった寝台列車という存在など,とにかくすべてが魅力的だったのだと思う.さらには時刻表や趣味誌を買ってもらい,自分の中での鉄道の世界が爆発的に拡張していった.そして忘れもしない2000年12月22日,親とともに上野から札幌までの北斗星3号の全区間乗車を果たしたのだった.よほどしつこくせがんだのだろうと思う.道内の車窓に広がるあの雪景色,寒々しいデッキとは打って変わって暖房が効いた客室内の匂い,今でも鮮明に覚えている.鉄道趣味については中学入学以降も懐かしい思い出が山ほどあるのだが,それはだいぶ本論から外れてしまうのでまたの機会にとっておく.

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濃紺の車体が宵闇に深く沈む(2015.06.19 青森)

とにかくそういうわけで,わが趣味の原点とも呼ぶべき北斗星には「今や貴重なブルートレイン」以上の重要な意味があった.それが北海道新幹線の開通でいよいよ姿を消してしまうというから,何としても最後に会っておきたかったのだ.日常が忙しいというそれだけの理由で撮影できないのは,あまりに名残惜しい.定時で業務を終えて麻酔科の控室から立ち去り,前夜にこしらえた装備とともに駅前から羽田空港行のバスに乗る.夜を泳いで青森へ向かう空路の中では,そんなことをぼんやり考えていた.レンタカーを借りて青森市内へ入った後,その夜は23時38分に入線する上り北斗星を駅で出迎えてから眠りに就いた.

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カシオペアの露払い,2051列車(2015.06.20 蟹田~中小国)

翌朝は3時過ぎに起床し,津軽線に沿って車を北へ走らせた.まだ5時にもならないが,辺りはかなり明るくなっている.早朝の空は,夜を引きずる青色や灰色も混入したような,それでいて一日の始まりを予感させるマゼンタの成分も目立つような,不思議な色彩である.田植えの時期はとうに過ぎており水田の水鏡はもう見えなくなっていたが,朝のあぜ道はすがすがしい.蟹田~中小国のストレートで下りカシオペアを仕留めた(本記事のトップ写真).

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南側はあいにくの曇り空(2015.06.20 油川津軽宮田

この時間帯は,急行はまなす津軽今別の近くで今の下りカシオペアと離合してから上ってくる.すぐさま車を飛ばして南へと引き返し,あまりにも有名な保育園脇の津軽宮田の踏切を訪れる.撮影者はそれなりに集結していた.しかしながら青森に近づくにつれ曇り空がどんどん広がってきて,何とも色のぱっとしない写真になってしまった.雨が降っているようにも見えてしまう.難しいものだ.

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急行はまなす,青森までラストスパート(2015.06.20 油川津軽宮田

この後は,五能線を訪れることにした.

 

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