西日本の秋(3) 山口線 前篇(2015.09.26)

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ついに会えた,SLやまぐち(長門峡~渡川)

2015.09.26

新山口1015→山口1038
山口線655D キハ47 100

 

山口1045→長門峡1116
山口線8561D キハ40 2071

 

長門峡~渡川 第一阿武川橋梁 SLやまぐち撮影

徳佐~船平山 徳佐川橋梁 SLやまぐち撮影

船平山~津和野 旧道俯瞰 SLやまぐち撮影

 

津和野泊 みやけ

新山口ではこれまた絶妙な接続で山口線に乗り換え,SLやまぐちを迎え撃つべく長門峡まで足を運んだ。この列車,実はまだ一回も会ったことがなかったのだった。駅からほど近いところにある第一阿武川橋梁でその姿をとらえた。ところが,青空が晴れわたるでもなく,あるいは排煙が編成に沿ってたなびくでもなく,窮屈にして均整のない,味わいに欠ける画となってしまった(トップ写真)。

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残暑は去り,秋が漂い始めていた

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むしろサイドビューの方がよく撮れたのではないか,というくらいだ

それで,写真を見返すとこの後に徳佐~船平山で同じ下り列車を撮影しているのだが,どうやって移動したのか,まったく記憶にない。やまぐち号を追い越す列車など存在しない。ということは,自動車での移動になる。でも車は借りていないから,近くで居合わせた撮影者に乗せて頂いたのだろうか。その記憶がないのが不思議だ。いや,でもかすかに車で追いかけたような気もする。してみると,この徳佐での撮影は思いがけない釣果ということになる。ああ,旅の思い出はこうも風化するのか。

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自身の吐き出した黒煙に巻かれ,C57 1は姿を現した(徳佐~船平山)

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津和野まではラストスパート(徳佐~船平山)

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日常に溶け込んでいる

さらに,この後の写真はもう津和野に飛ぶ。後続の普通列車に乗ったのかとも思ったのだが,時刻表を見直すとそれでは折り返しの上りSLの撮影に間に合わない。やはり,同じく車に乗せてもらった可能性が高い。行程の肝心な部分の記憶がぼやけているというのは,何となく落ち着かないというか,居心地が悪いものだ。津和野では,転車台の周りに群がる人々を横目に駅で自転車を借り,それを使って足早に移動したのだと思う。やがて町の南端近く,石州瓦の町並みを小俯瞰する撮影ポイントにたどり着いた。旧道の山道が折れ曲がる地点で,針葉樹の木立がふいに途切れるところだ。山口線の線路は,集落を抱く山の周縁に沿って大きなカーブを描きながら遠くからやってきて,足元のはるか下のトンネルへと吸い込まれていくのであった。

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赤い瓦屋根が連なる津和野の町

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大鳥居が見下ろす中,朱色の普通列車が町を離れていく

やがて,SLの時刻となった。

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遠くから,獣の息遣いが聞こえてくる(船平山~津和野)

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そして,町はずれまでやって来た

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黒煙を吐き出し,山へ突き進む

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気の利いた田んぼアート,お分かり頂けるだろうか

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寂しい残響,そして深い余韻

蒸気機関車は,さながら動物である。石を食べ,水を飲み,熱い火を体内に燃やしながら,煙を吐き出して邁進する。その悲しげな咆哮は遠い山あいにこだまし,やがて獣の息遣いのごときドラフト音が近づいてくる。この生き物の姿を素子あるいはフィルムに焼き付けようと,とり憑かれたかのように追いかけ回す人の心が多少なりとも分かる気がした。各人の理解の深度はともかくとして,世代をこえた普遍的な魅力を放つ被写体であることは間違いない。

町を散策
西日本の深みを感じる

長い一日を終え,夕餉にありつく

撮影地からの帰りがけに少しばかり町並を見物した後,この日は「みやけ」という駅前の旅館に投宿した。